タイム・イズ・マネー

私が住んでいるのは北カリフォルニア。ITの聖地、シリコンバレーのあるサンフランシスコベイエリアです。このレポートでは私の日常生活の中で接する機会の多い医療や介護の場面をメインに、大小様々な組織の隅々までIT技術が食い込んでいる様子を書いてみようと思います。

カリフォルニアは新天地開拓と変わり身の速さが伝統です。ITを使った新しい仕事の仕方を考えつくのは朝飯前。何でもかんでもIT化してどんどん使ってみて、うまく行かなかったものは即捨て、または即改善し、うまく行ったものはもっと改善し、儲かりそうならさらに儲かるように改善する。そういう場所です。

「うまく行く」というのは、主に時短のことです。より効率的になれば時間が余分にできる。その時間で何かほかのことをしようと考えているのです。もう一つ大事なのは儲かるかどうか。合わせるとつまり「タイム・イズ・マネー」=「時は金なり」です。

サンフランシスコといえば、フィシャーマンズワーフやケーブルカーが有名

サンフランシスコといえば、フィシャーマンズワーフやケーブルカーが有名

コロナ禍でみんな閉じ込められて自宅ワークをすることになってしばらくした頃、笑える記事がいくつか目につきました。職場に行かなくてよくなったのを幸いと、ダブルワークをしている人たちがいるというのです。それも机の上にもう一つラップトップを並べて仕事を同時進行させている。たとえば、副業の仕事量が本業の半分だったとしたら、収入は1.5倍と予想されます。通勤の面倒がなくなった分、余分に稼いで何が悪い!

私も読んで驚きましたが、雇用契約書で明文化して禁止しない限りこういう行動は止められないのだそうです。とはいえほめられたことでもないので顔出しで自慢する人はいません。でもインタビューされていた人たちは明らかに、「へっへっへ、やってやったぜ」と思っている様子。ズーム会議的なものを同時進行させるのは難しいとか言いながら、何だか楽しそうです。

IT化とか効率アップとか、上から言われて渋々やるものじゃない、ってことですね。自分の机の範囲でやってもいい。職場全体、業界全体でもいい。やればメリットがあるんだから、やる一択です。

周囲を見渡すと、色々なところでスマートワークが進んでいます。

医療のIT化

アメリカの医療のIT化について、私の義母の場合を例に見てみましょう。

92歳の義母が通院する回数は、現在年にせいぜい3回です。1回は予防接種、もう一回は多分メガネの度を調整するため眼科、もう一回は多分、内科のホームドクター。健康状態に大きな変化がなければそれくらいで充分。彼女が病院を避けるタイプだからではなくて、IT化が進んだ結果、病院まで足を運ばなくても大概の用事が済んでしまうからです。

92歳ですから色々あります。その色々のほとんどが慢性の症状をコントロールすることです。いつもと同じ薬ならドクターとの相談は多くの場合不要ですから、オンライン薬局で注文します。いつもと違うとき、特に急性の症状があれば、ドクターに電話かズームのようなビデオ会議で相談します。薬の変更が必要なら「新しい処方箋出しときますね」と言われ、オンライン注文すれば自宅へ配送されます。所見はすぐに読めるようになるので、私が何もかも覚えておく必要がなくなりました。

もちろん血液検査や尿検査、レントゲンなどが必要なら、医師の指示に応じてラボで検査してもらいます。結果は出次第オンラインで確認できます。もちろん過去データも。

こういう仕組みがどれほど患者と家族の負担を減らすか想像してみてください。前回と同じ薬をもらうためだけに半日潰して通院する必要がないのです。義母は「こんなんでいいのかしら」とドクターの顔を直接みられないことを寂しがっています。でもスピーカー越しとはいえ医師と話をする時間は減っていません。先日は画面を通して理学療法士さんに歩行器のハンドルの高さを見てもらったりもしたのです。

義母は、スイッチのついた道具がすべて苦手なので、本人が接続するのはやっぱり無理。でもタブレットからアプリを立ち上げてカメラ位置を合わせるだけですから、私にとってはお安い御用です。「タイム・イズ・マネー」です。すぐ読める、すぐ繋がるということがもたらす安心感も大きいです。安心を感じるポイントが変わったなという気はします。

一気にこうなったわけではなく、もちろん何年もかけてジリジリとシステム整備が行われていました。大体必要なパーツが揃ったところへコロナ禍がやってきて、みんなが使うようになった。システムの負荷が大きくなると問題点もたくさん見えるらしく、コロナ禍が始まってからの改善スピードは目を見張るものがあります。ログインするたびにチョコマカ変わっているところがあるように感じます。

92歳の義母。ホームドクターとの相談はオンラインで

92歳の義母。ホームドクターとの相談はオンラインで

こんな技術革新を日々進めている組織は、カイザーペルマネンテというHMO(Health maintenance organization、健康維持機構、アメリカの会員制医療組織)です。略してカイザー。カイザーは全米に会員数1200万、被雇用者数30万という巨大組織、非営利団体です。会員制の総合病院ネットワークみたいなものです。

医療を提供する方の立場から考えてみると、患者が施設に来訪しないことがどれだけ病院内の仕事を軽減するか、素人が想像してわかる範囲でもかなりのものです。受付、誘導、患者ごとに診察室の掃除。採血やレントゲンのたびにそのスペースの掃除。薬局への案内、薬局での受付、説明、会計……。人がそこに来るだけで発生する仕事量は膨大です。それが半分の人数になったら。半分自動化できたら。コストの削減も大きいですが、病院の仕事が削減できるということは、より多くの人に医療サービスを提供できるということでもあります。データがたまれば分かることも増えます。きっとそんなことを考えてIT化が進んでいるのだろうと想像できます。

私はひとりの患者として、また家族の介助をする立場の人間として、この傾向が気に入っています。なにしろ楽です。年々楽になっています。悪名高きアメリカの医療にも、悪くない部分はたくさんあるのです。

うちの近くのカイザー。こんな建物が半径500メートル以内に10本くらいボコボコ建っている。

うちの近くのカイザー。こんな建物が半径500メートル以内に10本くらいボコボコ建っている。

小さな会社のIT化

同じ医療でも、カイザーほど資金力のない企業も見てみましょう。

カイザーは資金力のある大きな組織ですので、設備投資と研修の類がたくさん必要な時流に積極的に乗りやすいのだろうとは想像できますが、ここのところ小さい職場でもぐいぐいとIT化が進んでいます。

たとえば、義母のところへ付き添いさんを派遣してくれる会社がそうです。日報がスマホで入力されているのです。だから読むのはオンライン。紙はなし。

付き添いさんたちの使うスマホは支給品ではなく自前です。全員機種が違います。機種依存しない仕組みで古い機械の人もアップルの人もアンドロイドの人もいますが、みな普通に入力できています。前に派遣を頼んだ他社では日報はまだ紙のバインダーでしたので、業界がデジタル化されている最中なのではないかと想像します。

スマホで日報を書くのに特別なトレーニングが必要なのかと思い、本人たちに聞いてみました。どんな情報をどんなふうに記録すべきか、ログインや操作の仕方、オフィスとの連絡の取り方、全部合わせて半日くらいの研修があったそうです。紙とペンで記録を取っていてもそれくらいの研修はあるでしょうから、デジタル化しても彼女らの負担は重くなっていないということです。画像は実際の日報の一部です。絵文字だらけがご愛嬌ですが、私が欲しいと思いそうな情報はぬかりなく入っています。

絵文字だらけの日報

絵文字だらけの日報

日報だけでなく、スケジュールも支払いもIT管理されています。今月は合計いくら掛かっているのかしらなどという疑問にも、オフィスの担当者を煩わせる必要はありません。オフィスとの連絡が必要なことがあれば電話ではなく、主にテキストで行われていて、24時間誰かが見ています。やりとりした記録はもちろんすべて残ります。派遣されている付き添いさんの立場からも、お願いしている私たちの立場からも良いことです。誰が返事をしていてくれているか分かりにくいのが気にはなりますが、毎回「オフィスの○○です」と名乗ってくれていますし問題はありません。

私はクライアントとしてこの傾向が気に入っています。

自分の職場に導入されたら

IT化の波が自分の職場にやってきたらどうなるのか。私がマッサージ師の仕事として通う障害者のデイケア施設での体験を紹介します。

ここはクライアント数が100くらいの学校のようなデイケアのような施設です。IT化のきっかけは、聞いたところによればソフトウェア会社からの売り込みだったそうです。そこの会社では以前からお年寄りのデイケア施設向けのソフトパッケージを作っていて、改造すれば障害者向けのデイケアでも有用なのではないかと考え、テストケースとしてどうですか(ご協力くださればお安くしておきますよ、の意味)と打診があったのだとか。既存のソフトを使い回して新分野に進出するとしたら、老人向けのデイケアと障害者向けのデイケアは確かに似ています。細かい事情は違うので欲しいデータも違うでしょうけれど、大雑把な事情は似ている。世の中そうやってIT化が拡大していくんだな、と納得です。

実際導入が始まってみると半年くらいは大騒ぎになりました。「かえって仕事が増えた」「効率悪すぎ」「全然良くない」「欲しい機能がまったくない」と非難ゴウゴウ、文句タラタラ。それまで仕事に画面やキーボードが必要なかった食堂スタッフや介助スタッフまでが巻き込まれて混乱。みんな消耗しました。

しかしこのソフト会社の担当さんの聞き取りがとても上手だったらしく、また施設の窓口となった人も気づきと説明が上手で、みるみるうちに改善されていったのです。一方的に新システムを押し付けられた状態を脱して、要望が取り入れられ、使い勝手が良くなると、スタッフの不満はなくなっていきました。

私はこの施設に週に1回程度しか登場しないマッサージ師ですが、私にもアカウントが作られました。それまで紙でやっていたことをデジタルに変更する過程でフォーマットも考え方も少しずつ変わりました。クライアントさんたちの出欠状況等、前には人の手を煩わせないとわからなかったことが簡単にわかるようになったり、誰がどんな事情でお休みしているのかわかったり、施設の中で開催されるイベントなどの情報も前もって読めるようになりました。データが蓄積される価値は使うほどに高くなるそうです。施設内のパソコンだけではなく、携帯電話からも家のパソコンからも読み書きが可能になっています。私は事務部分を使い慣れた家のパソコンで済ませてしまうことが多いです。

IT化が進んで仕事量が増えたとは思いませんが、読んでおきたいことは確かに増えたため、私個人としては前よりは多めにデスクワークに時間を取られている印象です。「タイム・イズ・マネー」の観点からは少し問題があるかもしれませんが、仕事の質は上がったと思いますので「ナレッジ・イズ・パワー」=「知は力なり」だと思えば大丈夫。これも気に入っています。

もっと小さなIT化

もっと身近なところでもIT化は進んでいます。

最近、ファーマーズマーケットで野菜を買うとき、ほとんど現金を使うことはなくなりました。コロナ禍で素手でお金に触りたくないから、一気にクレジットカード使用拡大が進んだ感じです。アメリカはもう20年以上前からキャッシュをあまり持ち歩かなくても生活できる場所だったのですが、ここへきてまた現金を使う機会が減りました。クレジットカード決済ならその部分の記録はしっかり残るので、経理作業も楽になります。一度カード決済を導入してしまうと、会計システム全体を連結してデジタル化したくなるでしょう。

ファーマーズマーケットにかぎらず、各種極小ビジネスをやっている人々も、少々の手数料を払ってもデジタル決済できるようにしておいた方が楽ですから皆さんそうしています。

私のような自宅の一室でちまちまと仕事をしているマッサージ師を例にとれば、カード決済、予約とスケジュールの管理、顧客管理などをデジタル化している例が多いはずです。カルテも顧客情報としてデジタル化しているでしょうし、予約の確認メール等、自動化できるところはしているはず。ひとつずつ手作業でやるよりはるかに楽ですから。そもそも電話に出なくても予約を受けられるのがありがたいです。すごそうですが業種別になっている新しいアプリの使い方を覚えるというだけです。

実は小規模ビジネスのためのソフトパッケージは多くの場合、スマホとタブレットで用事が済むので初期投資がとても少ないのです。IT化と言っても敷居は低くなっています。最初に色々な設定をしフォーマットを決めるときには確かに面倒ですけれど、その後にやってくる省力化を夢見て頑張るわけです。

もっと規模を小さくすると、私がお友達に自作のお味噌や麹をお分けする時や、近所のおじさんが自作のハチミツを瓶詰めして分けてくれる時のような、ビジネス以前、物々交換に毛が生えたレベルのお金のやり取りもデジタルです。友人と外でご飯食べて割り勘にする時も。まだ現金が欲しい場面も一部ありますが、キャッシュが欲しいからATMを探すという行動がほとんどなくなりました。前回現金を引き出したのがいつだったか記憶にありません。すると銀行の方でも当然のように無駄な仕事を減らしたくなったのか支店の数が大胆に減りました。

人類の歴史始まって以来、発明という発明のほとんど全部が楽をするのが目的です。スマートワークも例外ではありません。使ってみる、慣れてみる、気に入らなければ直す。「タイム・イズ・マネー」が実感できなければまた改善する。この繰り返し。昔よりは変化のスピードが速いのが難といえばそうですが、積極的に波に乗るのが楽しく楽に働くことにつながると思っています。

カリフォルニアからのレポートは、そんな感じです。多分日本と大きくは違いません。違うところがあるとすれば、アメリカの方が使いにくければ直せばいい感覚が強いところ。つまり、失敗は前進のためのステップで、むしろ必要だから何度でもしてよいと考えるのがカリフォルニア人。カリフォルニア人はこういうところであんまり悩みません。

ファーマーズマーケット

ファーマーズマーケット

著者プロフィール

望月 美英子(もちづき みえこ)

望月 美英子
コンピュータやITなどに関連した書籍などのデジタル系翻訳者、米国カリフォルニア州認定マッサージ師、兼業主婦。趣味は発酵。人生の半分以上が日本の外になりました。アラ還です。
望月 美英子