渋谷修太さん

1988年生。新潟県出身。国立長岡工業高等専門学校卒業後、筑波大学理工学群社会工学類へ編入学。グリー株式会社を経て、2011年11月フラー株式会社を創業、代表取締役に就任。2016年には、世界有数の経済誌であるForbesにより30歳未満の重要人物「30アンダー30」に選出される。 2020年6月、故郷の新潟へUターン移住。2020年9月、新潟ベンチャー協会代表理事に選任。2020年10月、長岡高専客員教授に就任。2021年12月、EYアントレプレナー・オブ・ザ・イヤー2021ジャパン受賞。ユメは世界一ヒトを惹きつける会社を創ること。

起業することは目的ではなかった

──ご著書の『友達経営』でも詳しく述べられていますが、ここ新潟に本社を置くことになった経緯からお聞かせください。

渋谷 まずわたし自身が20歳まで過ごした場所というのが大きいですね。思い入れがあるというのが第一。ただわたしは県内を転々としていたんですね。佐渡生まれなんですが、親の仕事の関係で妙高に行き、小学校から南魚沼、中学は新潟市、そして長岡高専に入学し5年間を過ごした、という流れです。

新潟=新潟市というイメージを持つ人は多いのですが、そういう経緯もあり僕は「県」という意識が強くて、そこに愛着があります。

そして、もともとコロナ前までは、30代の僕自身が「これからやること」を考えていた時に海外展開に興味があって、実際アメリカなどに頻繁に足を運んでいたんですが、2020年にコロナ禍がはじまり、それができなくなってしまった。そんな中改めてどうしようかと考えた時に、それまで当たり前のように考えていた「東京に拠点をおいていること」もちょっと違うんじゃないかと思ったんです。

──ご著書のなかでは「サウナで天啓が降りてきた」といったエピソードが印象的でした。

渋谷 そうなんです(笑)。「新潟」というキーワードがフッと浮かんだんですね。自分の高専時代の後輩でフラーにいる畠山くんからの相談をきっかけに、2017年から新潟駅前に支社は開設したのですが、ありがたいことに引き合いも多く、「採用にも苦労するのではないか」という僕の不安も吹き飛ばして、現在30人近くにまで成長しました。

そんな背景もあって、だんだんと会社としての存在意義について考えるようになっていたところにコロナ禍という大きな変化がおこったわけです。プロダクトを作る、お客さんの会社・事業のデジタル化を図る、といったことは当然あるのですが、それに加えて「生活インフラ」――たとえばここ新潟であれば、ありがたいことに「フラーという会社があったから、地元に戻ってくることができた」と言ってくれる人たちがいます。彼らはもしフラーという会社がここになかったら、県外に流出していたかも知れない人たちです。そういう風に考えたときに、会社が地域のために果たせる役割はとても大きいなと思ったんですね。

地域のデジタル化はもちろんですが、事業を通じて地域に貢献したり、雇用を生んだり、CSR(企業の社会的責任)の一環として、地元サッカーチーム「アルビレックス新潟」を応援したり、それらをトータルに捉えた時に、会社として新潟に恩返し・貢献できるし、そうしたいと思ったことが大きいですね。

──遡って起業に至るお話も伺えれば。今でこそ「高専」には注目が集まっていますが当時はそこまで知名度は無かったと思います。入学の経緯やその後の筑波大学在学中に起業した理由など教えてください。

渋谷 僕も高専って何? っていう状態でした。たまたま叔母さんがその存在を教えてくれて体験入学に行ったのがきっかけでした。教室にエアコンがある、制服を着なくてもいい、というのが良いなと思ったのと、体験授業でラジオを作ったり、寮生活も楽しそうだなと。教室でじっと授業を受けるのは苦手だったというのもあります。

──まさにその後の友だち経営にも通じる要素がいろいろあったわけですね。しかし大学進学後は高専の友人とは離ればなれになった?

渋谷 同じ大学に進んだ友人もいましたし、共同創業者の櫻井くんは近所の千葉大学に入学したので大学でも親交がありました。高専在学中から起業したいという想いはあったのですが、高専で学ぶ技術系の知識以外にファイナンスやマーケティングを学ばなければと考えていて、たまたま筑波大学の工学部に経営工学科が出来たのを知って私はそこを選び、デザインをやりたいと考えていた櫻井くんは千葉大学に進み……という具合に、いったんは散った仲間たちと起業をきっかけにまた集まったという感じですね。

大学3年生のときに、アメリカのシリコンバレーでGoogleなどのオフィスを訪れたことが大きなインパクトになっています。東京のような満員電車での通勤もなく、「キャンパス」と呼ばれる開放的な場所で仕事をしている。まさにソニーが掲げていた「自由闊達な理想工場」がそこにはあった。IT分野で「空が開けた場所」で起業しようと決めた瞬間でしたね。卒業後はグリーに入社しましたが、すぐにスマホが登場し、仲間たちとさっそくアプリを作ってみたりして「これだ!」と。グリーではアプリの分析も担当していたので、その経験も現在に活かされていますが、会社を辞める時にも上司に「パソコン、ネットの登場に続く10年に一度のチャンスだから」と背中を押してもらえましたね。

──新潟の大学で接していても、新潟の若者たちは優しくて真面目な反面、とても大人しい印象です。そんな環境のなか高専在学中から起業を考え、それをきっかけにまた仲間が集うに至ったのは何が要因なのでしょうか?

渋谷 基本やはり「友だち」なのだと思います。中学までは僕自身コンピューターが得意分野だと思っていたのですが、高専に入るともっと極めた人たちがいた。そんな環境だったので、彼らと競うというよりも人前で話したり、皆の意見をまとめたり、何かを皆で始めたりといったことの方が自分にはあっているのではないかと気がついたんですね。

──起業家とふれあう機会があったりはしたのですか?

渋谷 なかったですね。ただ幼いときから本が好きだったのでビジネス書などを通じて、ソニーなどへの憧れはありました。

──なるほど、そうするとやはり「友だちと一緒に何かをやるのが好きで、それを続けたかった」というのが起業の背景にあるわけですね。

渋谷 そうですね(笑)。子どもの頃、友だちと作った秘密基地がそのまま大きくなったようなイメージです。バンドなんかもやってましたしね。仲間たちと何かを作る、それを世の中の人に見てもらう、と。高専のみんなと何かをやり続けるなら、ビジネスだなと。

──「地域再興」のような重い、自分たちよりも上の世代のある種の負債を押しつけられるようなメッセージではなく、「友だちと面白いことを続ける」というのはとても若者たちの感覚にあっていると感じます。

『友達経営』(渋谷修太著 徳間書店刊)

『友達経営』(渋谷修太著 徳間書店刊)

事業としてのDXが地方の未来を創っていく

──フラーの事業の柱は、アプリの開発、パフォーマンス分析、DXを切り口とした事業開発支援の3つと捉えればよいでしょうか?

渋谷 あまり事業を幾つかの柱、というイメージでは捉えていなくて、お客さんに対して必要なことを全部やろうというモデルなんです。その結果としていま挙げていただいた3つの事業があるということですね。

[フラー社ホームページ](https://www.fuller-inc.com/business )より(2023.5.18)

フラー社ホームページより(2023.5.18)

それらを総称してデジタルパートナー事業と呼んでいます。基本的には一気通貫でデジタル化を支援しますよ、ということになってくるのですが、そのためのツールとしてデータを使うときもあれば、専門のチームによるデザインだったりもする。あるいは、必要に応じて開発もする。スタートはデータの提供だったのですが、クライアントのニーズに基づいて拡張されていったという感じです。

5年ほど前まではクライアントはIT企業が占めていましたが、最近はそれ以外の企業のデジタル投資熱が高まったという感触があります。そういった企業がアプリを作るに留まらず、データ解析もしたいとなるのだけれども、生のデータを見てもなかなか手を打ちにくい。そこで我々に分析だけではなくて、エンジニアも沢山いるのだから作ってもらえないか――となっていったというわけです。

そういったニーズに応えていくなかで、従来のウォーターフォールで納品して終わり、ではなくアジャイル型でずっと併走していく、というスタイルが確立していきました。

クライアントとコミュニケーションしていくなかで、デザインが大事だという話になったり、データに基づいた意思決定が大事だね、ということになっていきます。けれども、そういった要素を組み合わせながら事業を成長させていく、というのは一朝一夕にはいかないというのは私たち自身も経験によって理解していて、クライアントに対してもそれらを一生懸命提供しているうちに、現在のような姿になったということですね。

──お話を伺っていると、クライアント企業も友だち、仲間という捉え方の延長線上にあるようにも感じました。

渋谷 その通りですね。私たちはクライアント企業に対しては「パートナー」という意識をすごく持っています。例えば長岡花火のアプリも私たちが作っていますが、特徴的なのはプロジェクトメンバーが当日ゴミ拾いなど運営のお手伝いもします。アプリ開発やデータ解析は手段に過ぎなくて、長岡花火が良くなることが目的なんですね。そのゴールに向かってプラスになることは何でもやっていこうというのが基本的なスタンスです。

クライアントのことを深く理解する=当事者意識の重要性を社長の山﨑もよく社員に説いています。例えばスノーピークのアプリを作るなら、まず皆でキャンプに出かけたりもする。ハードオフのアプリなら店舗で働く体験をしたり、店長会議にも出席させてもらいました。

デジタルってドライな印象があって、プロジェクトも血の通わないような進め方になってしまいがちなのですが、僕たちは常に「人」を重要視していて、ウェットな部分を大事にしていますね。それが会社全体のカルチャーにもなっていて、「地域密着」という形で現れたりもするわけですが、その前提として「クライアント密着」があるわけです。

──ロジカルな意思決定の「データドリブン」と、エモーショナルな部分に働きかける「デザイン」が、クライアントに寄り添っての取り組み、例えばアプリ開発やDXという形で硬軟両面で現れているという風に理解しました。

渋谷 そうですね。自分事として取り組んで行った結果、そうなったという感じです。アプリやデジタル化の取り組みを進めると、クライアントにも色んな部署の人がいて議論になったりする。各所の要望を全部詰め込んでいってもダメで、誰かがファシリテーションしなければならない。その際に、データがあると客観的事実なので、話がスムーズに進んでいくことになる。デザインがあれば、絵で見てイメージとして共有することができる。全て人間が意思疎通するためのツールなんですね。皆が気持ちよく意思疎通、意思決定ができれば事業は成功する。それがDXの肝だなと。

──とても納得できるお話です。一方で、地方の企業・組織などを見ているとなかなかそうなっていないな、とも感じるのが正直なところです。そもそものITリテラシーが十分ではなかったり、リソースがもう全然足りなかったりする。率直にそれはどうすればよいのでしょうか?

渋谷 ギャップは大きいですね。でも、だからこそDXが進めば、良くなる部分=伸び代も大きいとも言えます。そのために我々がやっていることはパートナー企業に対する教育・研修の実施です。例えばデザイン研修を行ったりすることで、土台となる知識のレベルアップを図って共通理解、共通言語を作っていく。また、受け入れも行っています。クライアント企業から弊社に出向いただいたりして、デジタル人材として育ってもらったうえで、戻って活躍するということも実際起こっています。

残念ながら我々のリソースも限りがあるので、基本的にはパートナー企業はナショナルクライアントが中心です。企業の規模がある程度大きく、デジタル投資を行えるだけの余力があるところですね。我々が抱えているDX人材の数がキャパ(上限)となってしまっているというのも正直なところです。

そこで、創業10周年の年に「人に寄り添うデジタルを、みんなの手元に。」というミッションを掲げました。特に「みんな」というのがキーワードです。できるだけ多くの人を私たちとしてもサポートしたい、パートナーになりたいという思いがあるので、まずは経営課題としても採用に力を入れています。新潟ももちろんですが、沖縄などどこでもDX人材がいたら、ぜひウチを受けて下さい! とあちこちで言っています(笑)

「ポストコロナ」で地方と企業はどうなっていく?

──コロナ禍を機に地方に拠点を移した企業はフラーを含め数多くあります。一方で、コロナ禍の収束を受けて、色々なことを元に戻す、という動きも出てきました。地方(新潟)拠点というのは今後も変わりませんか?

渋谷 コロナ禍の最中も、新潟でベンチャー協会を立ち上げたり、高専生を支援する財団を作ったりと、ここで色々な仕込みを進めましたし、そういった活動を通じて仲間たちも出来ました。コミュニティが出来たことで、ここを訪れてくれる人も増えるだろうし、何かをここから始めることもやりやすくなったと感じています。

僕が新潟でやっているのと近いことを、全国各地で始めている人たちがいて、彼らを訪ねていく機会も増えています。地域間交流、連携がこれから色々と生まれてくるので、より面白くなっていくはずです。

──都市部では普及が進んだリモートワークですが、地方では今ひとつというのが実感です。リモートが可能にした地域間の繋がりを、フラーはじめIT企業を中心とした限定的な動きに留めないためには何が必要なのかも伺っておきたいと思います。

渋谷 フラーも実はオフィスに集まりたいといって、結構社員は出社してくるんですよね。僕は「なんで出社してくるんだろう?」と思っていたりするんですが(笑)。人としゃべるのが好きだったり、作業に集中できる環境もできるだけ用意しているということもあるのだと思うのですが。

つまるところ、使い分けではないかと思います。フラーも、管理機能がある柏、そして、長岡・沖縄に拠点がありますが、拠点間のやり取りは本当にオンラインが中心でとてもスムーズなものになっています。そうなったときにオフィスの価値はなんだろうと。例えば我々は「部活動制度」を設けていて、仕事以外のことでもコミュニケーションを取ることを推奨しています。リアルとデジタルの丁度良いバランスになっていると思うんですよね。こういったバランスはIT企業に限らず、様々な業種でも取り入れることができるはずです。

──コロナ前からもリモートワークも取り入れたワークスタイルというのは確立していたのでしょうか?

渋谷 やってはいましたが、クライアントがそこに加わってくると、なかなかリモートで、とはいかなかったですね。けれども今は、お客さんもオンラインが当たり前です。初回の顔合わせは現地でやって、それ以降はフラーの各拠点と客先をオンラインでつないで、というのが当たり前になりました。これは凄い変化だなと思いますね。

──地方に活力を取り戻すためにも起業の促進が重要となっています。先ほどベンチャー協会を立ち上げたというお話もありましたが、具体的な成果は出てきていますか?

渋谷 3年前にはじめて集まったときは、4-5人しか起業家がいなかったのですが、そこから随分増えてきました。個人としても若手の起業家を集めた合宿を毎年行い、年2-3回はゲスト講師を招いての講演、メンタリング・ネットワーキングを行ってきました。そしてわたしが代表理事を務める新潟ベンチャー協会は年1回のピッチイベントを行っています。

去年はじめて開催した「新潟ベンチャーサミット」には200名ほどの関係者が集まってくれました。起業家はここ数年で10倍くらいになったのではないかと思いますね。あと2-3年すれば100名ほどの起業家コミュニティになるはずで、これが1000人くらいになると新潟の町の風景も「スタバでMacを開いて起業家が仕事をしている」という東京と変わらないものになるはずです。

シリコンバレーで僕がそんな様子に触れたのが15年前です。東京だってそんな風景になるまでは随分時間が掛かりました。新潟もあともう少しというところまで来ています。

次なる課題は、スタートアップで働くという選択肢を一般に拡げる必要があると思います。

──同感です。地方の大学で学生の就活に「スタートアップ」が加わる機会は滅多にありません。

渋谷 東京ではそこで働くことがカッコイイというイメージが拡がって、優秀な人材が集まっていきました。地方は起業家は増えたけれどもそこまでは至っていない。でも、ヒトが集まらないと会社の成長はありませんから、キャリアの選択肢の1つとしてスタートアップを加えてもらえるような啓蒙が必要だと考えています。

東京のスタートアップ界隈で働く人は、年功序列・終身雇用ではなくて、スキルを磨いてキャリアアップ・転職をしていきます。この価値観を新潟にもインストールしなければならない。学校・親……そういったところへの働きかけも必要です。新潟は親子の関係が良くも悪くも近い、というのがこの場合問題だと思っていて、新潟から他県の大学に「巣立って」いれば、就職の際の意思決定に親が影響を及ぼす場面は少ないのですが……。

──すごくわかります(笑)

渋谷 でもずっと新潟にいると、親御さんが干渉してしまいますよね。「県内の安定した仕事に就きなさい」と。僕もそれを否定するものではないのですが、やはりリスクをとってスタートアップを選択する若い人をもう少し増やしたい。そうしないと、いくら起業家が増えてもサチる(限界に達してしまう)ので。カルチャー浸透が課題です。

親御さんがある意味近視眼的になってしまうところも変えなければダメなんです。地域、日本全体としても「前進」させる力がもっと必要で、それは歴史を見ても既存の枠組みを外れた人たちです。新潟で言えば河井継之助(幕末から明治期に活躍した長岡出身の武士)のような人物ですね。一度地元から出たことで、地域と都市、あるいは日本を俯瞰する視点を得た上で、地域の魅力や強みを再発見して「こうあるべきだ」という自分なりのビジョンを持つことができる。僕は若い人には一度は進学や就職で新潟を出て欲しいと思っています。その上で彼らが戻ってきたいと思う街に、私たちはしないといけない。そうすることが格好よかったり、憧れの対象になるようにしたいなと。

──渋谷さんがまさにそのロールモデルでもありますね。

渋谷 僕一人だけではいけないので(笑)。なので、起業家を育てることに力を注いでいます。僕が筑波大学に進んで東京で起業し、新潟に戻ってきたときにはゼロだったけれども、仲間は増え続けています。

新潟県民はよく真面目で優しいと評される一方、農業が産業の中心であったので、新しい事・イノベーションとの相性は正直良くないかも知れません。でも一方で、仲間意識はすごく強いので、皆でコミュニティを作って新潟という地域を良くしようと一旦動き始めれば強いんです。僕はベンチャーって突き詰めれば、「始める」ところと「続ける」というところの2つしかないと思っていて、実際生き残るベンチャーはほんの一握りです。新潟の強みはこの生存というところだと思います。100年企業が全国的にもトップレベルなことがそれを証明しています。新しい事をはじめるのは苦手、という弱点は補って余りあると思いますね。

──なるほど、例えばハードオフなどもそうだと思いますが、新潟で生き残る強いベンチャーは全国でも強いということですね。ところで起業にはヒトに加えて、モノ・カネが必要です。モノについては新潟には伝統的な産業があり、技術力の高さもある。あとはおカネですよね。出資者が東京のように沢山いるという環境ではまだないと思いますが、そこはどうなっていくのでしょうか?

渋谷 それは現時点では仕方がないですね。エンジェルと呼ばれる出資者たちは自ら起業して成功し、次世代を応援したいという人たちですから、今はまずは第一世代の起業家がようやく増えてきたという状態です。ここから10年、20年と経てば彼らがエンジェルになってくれるはずです。

──価値観のインストールもそうですが、時間が掛かりますね……。

渋谷 掛かります。それこそ、10年なんてレベルではない。シリコンバレーだって今の姿になるまでにはそれこそヒューレット・パッカードの創業あたりからの30年の歴史が必要だったわけですから。新潟はいまやっとその歴史がはじまったばかりなんです(笑)。

でもそのエコシステムは地域に絶対に作っていかなければならない。そのためにはコミュニティが重要なんですが、「新潟への無条件の愛」の存在が大きいと思います。

「自分のふるさとが元気になってほしい」という共通の価値観があることで、例えばベンチャー協会を作ろうといった動きが出てきたわけです。損得勘定でいえば、むしろ損する話なんですが、それでも新潟のために一肌脱いでくれた人たちがいます。ベンチャーエコシステムがあるかないかで、地域の未来は決まると思っているわけです。これがないと、もうその地方の存続すら危ういと。

新潟は民間主導のベンチャーエコシステム構築の事例として、他県の方々からも注目を頂いています。わたしはこういった取り組みは、自治体ではなく民間でしか持続させることができないと考えています。もちろん行政のサポートは必要ですが、行政サービスをあまねく提供することが使命である自治体では、こういった一点突破の領域に全集中するというわけにはいきませんから。だから、これは起業家の仕事だなと僕は信じて取り組んでいます。

──最後に読者、特に新社会人になったばかりの若い人へのメッセージなどあればお願いします。

渋谷 地域はいま歴史の転換点にあります。今までのやり方ではもう生き残ることはできません。高齢化が進み、人口が減少し続けるなか、消滅自治体という言葉も現実味をもって語られるようになりました。でもこれはスマホの登場の時のように、10年に一度あるかないかのチャンスでもあると思うんです。イノベーションのような大袈裟な言葉を使わなくても、何かを変えなければいけない、と一人一人が思って、今行動することが大事で、それは先入観がなくて、新しい技術にも適応していくことができる若い人に期待されていることでもあるし、実際できることも多いと思います。この状況を楽しんで欲しいなと思いますね。

──とても共感できる、そして新潟という地方の未来につながるお話を伺うことができました。お忙しい中ありがとうございました。

著者プロフィール

まつもと あつし(まつもと あつし)

敬和学園大学人文学部准教授。IT系スタートアップ・出版社・広告代理店、アニメ事業会社などを経て現職。実務経験を活かしながら、IT・アニメなどのトレンドや社会・経済との関係をビジネスの視点から解き明かす。専修大学ネットワーク情報学部講師・デジタルハリウッド大学院デジタルコンテンツマネジメント修士(プロデューサーコース)・東京大学大学院情報学環社会情報学修士。