「満員電車通勤禁止令」で働き方への意識が変わった



株式会社オトバンクは、“耳で読む”オーディオブックで日本トップクラスの出版点数を誇る企業だが、社長の久保田裕也氏が「満員電車通勤禁止令」を出したことがマスコミで報じられ、同社の働き方にも注目が集まっている。久保田氏が「満員電車通勤禁止令」を出した背景と、その後の社員の変化について聞いた。

文/豊岡昭彦


満員電車でのトラブル遭遇がきっかけで禁止令を発令

 “耳で読む本”オーディオブックを制作・販売する株式会社オトバンクは、配信サービス「audiobook.jp(オーディオブックドットジェイピー)」※ を運営している。その会員数は30万人を超え、出版社約500社の作品2万3千タイトル以上を備える国内最大のサービスだ。掲載されるオーディオブックはビジネス書から文芸書まで幅広いジャンルを網羅し、直近の芥川賞受賞作など人気の話題作も配信されている。社長の久保田裕也氏によると、会員数は順調に増加しており、最近は単月で前年の10倍を超えるような月もあるのだという。

※2018年3月に「FeBe」からリニューアル

 久保田氏はオーディオブックの現状を、次のように分析する。

「海外で先行して広がってきたオーディオブックですが、日本でもスマートフォンの普及など、様々なメディアで楽しむことができるようになったことで急激に普及しています。オーディオブックなら、両手も両目もフリーな状態で、通勤中でも家事をしながらでも楽しむことができます。日本では、以前は目の不自由な人のものというイメージがありましたが、今は健常者の会員がほとんどです。ユーザーの主流は、読みたい本がたくさんあってもなかなか読めずに“積ん読”になってしまう人たちですね」

オトバンクが運営するオーディオブック配信サービス「audiobook.jp」。オトバンクはこれ以外にも書籍の新刊情報を提供する「新刊JP」も運営している。

 会員数が増えるにつれ、より多くの作品、より新しい新刊を早く出してほしいという要望が寄せられる。当然のように、社員の労働量も急激に増え、より効率的な仕事の進め方を模索していた。

「制作の部門は、収録の時間も不定期で業務開始が遅くなることも多く、それに引っ張られて午前中は仕事が少なく、逆に夕方からの打ち合わせや業務が増えて、結果的に長時間労働になっていました」

 さらに、久保田氏は、社員一人ひとりにどんな働き方をしているか、どんな時間帯が仕事に没頭できるかインタビューしてみた。

「人によって働き方はそれぞれで、昼型の人もいれば、夕方になってやっと調子が出るという夜型の人もいました。業務内容によっても違いますし、プロジェクトの進行度合いによっても時間の使い方は違います。ですから、フレックスタイム制を導入しても、コアタイムがあれば結果は同じだとわかりました。いっそのことコアタイムをなくして、本人たちに任せたほうがいいのではと思いました」

 そんな折、久保田氏が朝の満員電車でトラブルを目にしたことが「満員電車通勤禁止令」を出すことにつながった。自社の社員たちもこうしたトラブルに遭う可能性があるということから、久保田氏は通勤時間帯に電車に乗らないという「満員電車通勤禁止」を提案した。すでにその前から「コアタイムの廃止」と「リモートワーク制(在宅勤務)の導入」を行っていたが、これに加えて「満員電車通勤禁止」についての提案も「誰からも反対がなかったので」(久保田氏)、2016年10月に全社に導入された。

コアタイムなしのフルフレックスタイム制とは

株式会社オトバンク 代表取締役社長の久保田裕也氏。

 通常のフレックスタイム制は11時から15時といったコアタイムを決め、その時間は全社員が社内にいることにして、出勤や退社時間を自分で決めていいという勤務形態だ。だが、オトバンクが導入したコアタイムなしのフルフレックスタイム制とリモートワーク制とは、何時に出社してもいいし、何時に退社してもよく、リモートワークをするなら出社しなくてもいいという勤務形態だ。

 その意図について、久保田氏は次のように語る。

「長時間労働をなくそうということはもちろんですが、それ以上に上からの指示で働くのではなく、自分で考えて仕事をしてほしいと思いました。そのきっかけとして働き方からまず考えてほしいと……。会社のフェーズが上がっていくうえで、トップダウン型で上ばかり見ているようではうまくいかないので、働き方というところからも自分で仕事のやり方を考え、効率化して、余裕のある生活をしてほしい。そのためには通勤の時間帯に縛られない働き方が必要だと思いました」

 コアタイムをなくしたら、会社に来ないでさぼっていたり、業務が大幅に遅れたりするのではないかと心配になるのが一般的だろう。だが、そんなことはなかったと久保田氏は語る。

「当社では、2014年秋にビジネス用グループウェアSlack(スラック)を導入し、プロジェクトの進行も社員間の議論もすべてこのグループウェア上で行うことで情報を共有しています。しかも、当社では誰が何を言ってもいいという文化があります。ベテランも新人も、アルバイトの学生でも仕事の上では対等。他の部署にも平気で助言します。ですから、プロジェクトが遅れたら、周りからチェックが入りますし、こうしたらいいんじゃないというヘルプも入ります。先日もカスタマーセンターの担当と、制作の担当が喧々諤々やりあっていましたが、そういうことは日常茶飯事です」

 Slack上で議論が行われるため、会議もほとんど必要がない。オトバンクでは、社員間でよいコミュニケーションが保たれているのだ。その結果、1人で仕事を抱え込むことがなく、仕事も共有されているわけだ。仕事をさぼって自分だけ得をしようというような考えはないのだ。このような社員間の関係が保たれているのは、会社に対する信頼感があるからだろう。

「当社では、社内向けホームページをWikiで作って、個人情報以外はほとんどの会社情報を社員にすべて公開しています。ですから、どんなプロジェクトが進行しているか、売上、問い合わせ内容、役員会議の内容などについてもすべてアクセスできます」

 こうした会社側のオープンな姿勢があるからこそ、社員間の自由な議論が活性化しているのだろう。

「先日、評価システムについても社員が納得感のある仕組みを主体的に議論していて、『こういう方向性でいきたい』と言われました。社長が決めるのではなく、社員が決めてくれて、私はよほどおかしくない限りは、それを追認するだけでいいんです。ほぼほぼ、よく考えられている。ですから、コアタイムを廃止したことで、長時間労働が減少しただけでなく、社員は以前よりも会社のことを“自分事”として考えてくれるようになったと思います」

 オトバンクでは、残業手当も認められる。働きたいときには1日に12時間働いてもいいし、次の日は5時間しか働かなくてもいい。それはそれぞれの個人が決めることだ。もちろん声優さんを集めてスタジオ録音をする場合などは、決まった時間に関係者が集合して、きちんと仕事をこなす。自分勝手にスケジュールを変更していいということではない。

音声データの録音は、声優さんたちによってスタジオで行われる。

 コアタイムなしのフルフレックスタイム制が問題なく成立しているのは、こうしたオトバンクのワークスタイル、カルチャーがあるからこそだろう。社員を信用し、社員からも信用されるというベースの上に、みんなで仕事をしていこうという前向きなモチベーションが生まれ、それが労働生産性を上げている。

「コアタイムなしにしたことで大きな問題は起こっていません。1つだけ、宅配便を午前中に受け取る人がほとんどいないという問題が出てきたりしましたが、宅配便業者さんに配達を午後からにするようにお願いして解決しました。当社は今、社員数が約50名で100名くらいまではこのやり方で大丈夫だろうと思います。でも、1000名を超えるような規模になったらこのやり方は通用しないかもしれませんね。私自身も日々の業務が減り、会社の将来について考える時間ができました」

 久保田氏に、オトバンクのこれからの計画について聞いた。

「社員が顔を合わせることの大切さも感じているので、みんなが会社に来ることが楽しくなるような会社にしたいと考えています。今も月に1回は全社員で社内飲み会をやっていますが、もっとおもしろいことができないかと。まだ秘密なので言えないのですが、色々と考えています」

 最後に久保田氏に、政府が主導し世間の注目が集まっている「働き方改革」について、どう思うかを尋ねた。

「一律に労働時間を短くしても生産性は上がりません。それぞれの会社、それぞれの部署、それぞれの個人でみんな事情は異なります。同じ人が同じ仕事をしていても独身の時、子どもが小さい時、子どもが大きくなってからでは働き方は異なります。それぞれのカルチャーやワークスタイルによって違うという多様性を認めることが大事なのに、トップダウンでこうやれという考え方はおかしいですよ」

オトバンクのオフィス風景。コアタイムなしのフルフレックスタイム制なので、リモートワーク(在宅勤務)も許可されている

新しいカルチャーとワークスタイルの必要性

 日本はホワイトカラーの労働生産性が低いと言われて久しい。その解決策として、フレックスタイム制、残業禁止デー、ダイバーシティ(多様性)、ワーク・ライフ・バランスなど様々な解決法が提案されてきたが、十分な成果が上がったとはいいがたい。

 なぜ、うまくいかなかったのか。その理由の1つが久保田氏の言葉にあるように、多くの日本企業のワークスタイルやカルチャーが旧態依然としたままであることだろう。トップダウンで仕事を進める組織では、仕事の進め方の効率が悪いと思っても上司に逆らえないし、上司が帰らないうちは帰れないというようなことが普通に起こってしまう。これまでの日本は、グループで共同で進める製造業がメインだったので、それでもよかったわけだが、クリエイティブな仕事ではこうした仕事の進め方では効率が悪く、イノベーションを起こすことも困難だろう。

 クリエイティブな仕事では、個々人が自分で判断する自律型の集団であることが必要であり、こうした集団のリーダーもトップダウンで部下をコントロールするような従来型の支配的なリーダーではなく、信頼関係のもとスタッフと肩を並べ合意を得ながらともに進んで行くような協働型のリーダーの方が有利な点が多い。オトバンク社長久保田氏のリーダーシップは、こうした新しいリーダーの在り方を示唆するものだ。

筆者プロフィール:豊岡昭彦

フリーランスのエディター&ライター。大学卒業後、文具メーカーで商品開発を担当。その後、出版社勤務を経て、フリーランスに。ITやデジタル関係の記事のほか、ビジネス系の雑誌などで企業取材、インタビュー取材などを行っている。