欲望のインターネット広告

今ではインターネット抜きのビジネスは考えられないが、かつてインターネット上でお金に関するやりとりは御法度だった。初期のインターネットは、アメリカ国防総省高等研究計画局(ARPA)の資金で運営されており、ARPAnetと呼ばれた。1980年代に入ると全米科学財団(NSF)が出資するNSFnetに移行した。日本では旧文部省が所管する学術情報ネットワークがインターネット接続を提供していた。つまり、アメリカでも日本でもインターネット接続は税金で運営されており、学術研究のためのネットワークだった。

1982年に発行された「ネットワーク・エチケットハンドブック」には「ARPAnet経由で個人的利益のためや政治的意図をもって電子メールを送ることは反社会的で違法である」と書かれていた。アメリカで商用インターネットのバックボーン接続を運営する民間団体CIXが設立され、ようやく商用利用が可能になったのは1993年のことだった。

1994年、アメリカではPizza Hutが世界初のオンラインショップとなるpizzahut.netを開設し、ネットマガジン『HotWired』が創刊され、14社のバナー広告が掲載された。これが初のネット広告と言われている。日本では1996年にWebサイトでポルノ画像を公開した男性がわいせつ図画公然陳列容疑で逮捕されている。おそらく日本初のわいせつWeb事件だろう。食欲と性欲という人間の2大欲望がインターネット商用化のごく初期に登場しているのは、まさに「欲望のネットワーク」にふさわしい。

著者の森永真弓さんは、広告代理店である博報堂DYメディアパートナーズのメディア環境研究所上席研究員。広告・マーケティングという側面から、インターネットの普及・発展史を捉えている。取り上げられているのはインターネットの個人接続、商用利用、Webの普及が始まった1990年代からなので、私がインターネットに関わってきた時代と重なっている。私は技術者としてインターネットに関わってきたので、著者との視点の違いが新鮮だった。

BMW Filmsが広告業界に与えた影響

著者は2001年から2002年に制作公開され、2003年のカンヌ国際広告祭でグランプリを受賞したBMW FilmsというWeb広告を大きく取り上げている。ブランデッドムービーの先駆けと言われ、当時としては破格の制作費が掛けられたショートフィルムは広告業界に衝撃を与え、ショートフィルムブームを巻き起こしたという。

残念ながら、BMW Filmsについてはまったく記憶にない。というわけでさっそく検索してみた。8本のショートフィルムはウォン・カーウァイやガイ・リッチー、ジョン・ウー、トニー・スコットといった著名監督を起用し、クライヴ・オーウェンが全作でBMWを運転し、ミッキー・ローク、フォレスト・ウィテカー、マドンナといったビッグネームが共演している。いずれもYouTubeで見ることができるが、マシンガンで740iが穴だらけになりつつ無事に目的地までたどり着いたり、無茶苦茶な運転でマドンナがM5の車内を転げ回り、最後はレッドカーペットに放り出されてフォトグラファーたちに恥ずかしい姿を撮られてしまうなど。よくBMWがこんなシナリオを許したなというか、国産メーカーだったら絶対にNGだろう。それを含めてBMWを若者にアピールするブランディングとしては成功していると言えるだろう。自分がThe Hireを見てBMWを買うかどうかは別として。

もう一つ著者がデジタルマーケティング史の転換点として取り上げているのが、ファーストリテイリングによるブログパーツUNIQLOCKキャンペーンだ。2007年、同社は簡単なコードを埋め込むだけでブログの片隅に時計が表示されるツールを無料公開した。もちろん単なる時計ではなく、時計内でユニクロの服を着たダンサーが踊るという広告機能を持っている。これも2008年にカンヌ国際広告祭を初めとする世界3大広告祭でグランプリを受賞している。

個人のブログというメディアを広告媒体として活用し、双方にWIN-WINの関係を築き、ユニクロへの好感度を上げることができるという、画期的なできごとだった。

4大広告ジャンルを追い抜いたインターネット広告

2000年代には日本の広告業界でインターネット広告のシェアが大きく向上した。まず2004年、ラジオ広告費総額をインターネット広告費総額が追い抜いた。2006年には雑誌広告費を、2008年には新聞広告費を越えた。広告メディアの王様、テレビ広告の牙城はなかなか崩せなかったけれど、ついに2019年、2兆1048億円とテレビ広告費(1兆8612億円)を追い抜いて広告媒体首位に躍り出た。

今でもマス広告、不特定多数の消費者に企業名や商品名を認知してもらう媒体としてはテレビ広告の効力は絶大だし、一人当たりの費用で考えれば格安とも言える。だが、マス広告は広告主にしてみればその広告が実際に商品やサービスの購入に繋がっているのかどうか、費用対効果が不透明だ。

インターネット広告は、特に検索連動型広告となることで、その広告をクリックした人が自社サイトに飛び、実際に商品・サービスを購入したかどうかまではっきり分かる。必要なモノ=欲望にきちんと寄り添って広告を出す検索連動型広告は、マス広告とパーソナル広告双方の機能を兼ね備えた広告メディアだ。

マス広告からパーソナル広告へ

もっとも広告が表示されたからといって、それが商品・サービス購入に結びつくかどうかは別だ。特に最近では検索連動型広告を含む広告の「押しつけがましさ」に拒否感を持つ消費者も少なくない。それよりもユーザーの推薦や口コミサイトでの評価・レビューの影響力が大きくなっている。

個人がブログなどで商品を紹介し、そこに張られたリンクから商品が売れたらマージンを貰えるというアフィリエイトは1996年、アマゾンのサービスとして始まった。またブログに商品紹介記事を掲載してもらうブログマーケティングの手法も同じ頃からスタートしている。

中にはアフィリエイトで月に何十万円稼いでいる、という人もいるようだが、ほとんどの人は数千円も稼げず、レンタルサーバー代と手間を考えれば赤字だろう。一つの商品ジャンルに絞っているならともかく、ブログ広告代理店から送られてくる資料をリライトして載せているブログでは、今日は化粧品、明日は自動車、明後日はFXと扱うジャンルが定まらず、基礎知識もないのはバレバレ。商品・サービスへの好感度を上げるどころか、うさんくさいものにしてしまう危険性の方が高い。

インフルエンサー・マーケティングの時代へ

2010年代後半になると、口コミマーケティング、バイラルマーケティングの限界が露呈し、大勢のフォロワー、しっかりした固定ファンを持つインフルエンサーに商品を紹介してもらう「インフルエンサーマーケティング」の手法が確立された。「広告載せたい人手を挙げて」というアフィリエイトやブログマーケティングではなく、インフルエンサーの活動に企業がマーケティング活動を混ぜてもらうという、主従が逆転した現象が起きる。

その最たるものがYouTuberの活躍だろう。トップYouTuberとなると年収1億円を稼ぐと言われ、2021年には小学生の「将来なりたい職業」の人気ナンバーワンを獲得した。彼らの収益源はYouTubeに掲載される広告費だが、企業からのプロモーション企画の依頼が続々と持ち込まれ、その「CM出演料」がバカにならないという。

一方、口コミサイトでのレビュー、ランキングが広告出稿費で上下されていたり、企業からお金をもらっているのにそのことを隠していた「ステマ」が明らかになって非難が殺到する炎上事例も後を絶たない。

そうした中、著者はフォロワー数を誇るトップインフルエンサーではなく、誰もが名前を知っている存在ではないが、特定のジャンルで強い影響力を持っているマイクロインフルエンサーに注目すべきだと言う。数十万人、数百万人のフォロワーを持つトップインフルエンサーは有名芸能人のような存在となり、ファンとの距離が開きすぎている。マイクロインフルエンサーはファンとの関係が密接で、相互のコミュニケーションも活発だ。

SNSは広く交流する場ではなく、むしろ自分の興味のある人とだけつながる「タコツボ」であると言われる。関心がある情報を発信している人だけをフォローし、興味のある情報だけを選択する。検索するのは面倒、広告に騙されたくない。そういう人にとって「知っているあの人=マイクロインフルエンサー」が教えてくれる商品こそが購入するに値するだろう。

本書は広告、マーケティングという側面からインターネットの歴史を解説した画期的な著作だ。広告やマーケティングに興味のある人はもちろん、オンラインショップなどネットコマースビジネスを展開している人にも有意義な示唆を与えてくれるだろう。

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いま、変革が必要なのは、広告産業の「ビジネスモデル」だ。高度情報社会において、広告ビジネスは現在の「モノ」的取引を前提とするビジネスモデルのまま、生き残れるのでしょうか。海外の広告ビジネスの潮流、GAFAなど広告ビジネスでも存在感を増すプラットフォーマーの動き、さらに日本の広告ビジネスの成り立ちからの考察を含めて、広告産業が生き残るために必要なビジネスモデルの変革の方向性を導き出します。(Amazon内容紹介より)

『顧客起点のマーケティングDX データでつくるブランドと生活者のユニークな関係』(横山隆治、橋本直久、長島幸司 著/宣伝会議)

広告・マーケティング部門のDXとは顧客体験をデジタルで最適化することにある。昨今、デジタル・トランスフォーメーション(DX)の必要性が叫ばれていますが、組織におけるDXとは単なるIT化の延長ではなく、顧客やユーザーにとっての価値を創出し、市場環境が変わる中でも競争上の優位性を確立することです。本書では、広告・マーケティング部門に求められるDXの考え方と具体的なアプローチについてまとめて、DXの目的を「顧客体験をデジタルで最適化すること」ととらえ、テレビCMの効果の可視化や生活者データの捉え方、SNSの浸透で変わる購買行動について解説します。(Amazon内容紹介より)

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著者プロフィール

土屋 勝(つちや まさる)

1957年生まれ。大学院卒業後、友人らと編集・企画会社を設立。1986年に独立し、現在はシステム開発を手掛ける株式会社エルデ代表取締役。神奈川大学非常勤講師。主な著書に『プログラミング言語温故知新』(株式会社カットシステム)など。