「この人たちには田舎はないのですか?」

このパンデミックで、タイでも職を失う人々は多くいます。特にバンコクなどの大都市とその周辺には、地方から出てきた就労者も多く、飲食業やタクシー運転手、観光業で生計を立てる人々、工場で働く人々などは、これまでの職を失い転職することも多い印象です。

私たちは「eavam」というスキンケア/日用品ブランドの開発・製造・デザインを行っているのですが、現在の会社の前身をチェンマイに創業してまだ間もなかった90年代末頃も、タイはアジア通貨危機に襲われ、多くの国内企業が倒産し、バンコクの首都圏には失業者が溢れていました。

その約10年後、日本ではリーマンショックの影響で派遣切りにあった人々、職を失った人々、生活困窮者などを支援するため、日比谷公園などに「年越し派遣村」が開設されたことがニュースになりました。

日本の首都の中心で、寒風のなか、炊き出し支援を受けながら新年を迎える人々のニュースをみて、会社のスタッフたち(チェンマイ郊外の村の女性たち)は、怪訝な表情で聞きました。「この人たちには田舎(実家)はないのですか?」

タイは、日系企業も多く進出する東南アジア有数の製造業拠点のひとつですが、いっぽうコメをはじめとした農産物輸出でも高い競争力を持つ農業国でもあります。高度に都市化したバンコクを一歩離れれば、その国土の多くは豊かな穀倉地帯で、私たちのいる北タイの古都チェンマイ周辺も、田や畑が広がり、郊外の農家は鶏や豚を飼って暮らします。川や沼では水牛が水浴びする光景を目にします。

田園風景

田舎の景色

こののどかな景色は、都市化に至る発展途上の田舎の景色であるかといえば、それもまた違います。

若年層から中高年(そして高齢者)まで、タイ人のほぼ誰もがスマートフォンを持っており、チェンマイ郊外の少数山岳民族の村々には、どの家にもパラボラアンテナが立ち、衛星放送を受信しています。電柱には垂れ下がった電線と共に光ファイバーが引かれているのです。

一見、一昔前の漫画やアニメの格好の題材にも見えますが、これはごく地味な田舎の日常の光景です。スマートフォンは都市生活者のみのツールではないし、ネット回線もまたしかりです。ホワイトカラーのオフィスワーカーが、ネットやデジタル機器を駆使して行うワークスタイルだけがスマートワークでもないでしょう。

特にオフィスは持たずとも、自身のアルバイトやパートタイムの隙間時間、市場や屋台で甘いコーヒーを売る片手間に、スマートフォンを片手に、自作のビーズアクセサリーや藍染めの布バッグ、瓶詰めの蜂蜜などをネットで売る人々がいます。

その多くは女性たちで、特に技術に明るいとかパソコンやデジタル機器に興味があるという層でもないし、新しい働き方を意識している層でも全くありません。ただ手にスマートフォンがあるから、それも特に最新の機器でもなく高価なApple(iPhone)でもなく、安価に手に入れたその辺のスマートフォン(型落ちのSAMSUNGやOPPOやXiaomi)があるからという理由です。

こうした個人がネットでビジネスをする方法として、特に既存のECサイトを利用することはなく、また日本のようにBASEやSTORESといったプラットフォームがあるわけでもないのです。

僧侶とヤマザクラ

タイの人々の就労意識

使えるものを使う。広く無償で提供されているベタなSNSを使う。多くはFacebookやLINE、Instagramです。LinkedInやSlackなどではありません。

これらは(標準仕様では)決済機能はないため、どうするかといえば、単に売りたい商品の写真を撮ってアップし、その説明と価格をテキストで入力します。注文はメッセンジャーで受け、購入希望者がいれば代金の振込先を個別に伝え、顧客は振り込んだらその銀行ATMのレシートを写真に撮って送る。それを振り込み確認として、伝えられた住所に商品を送る。これだけです。

セキュリティがどうとか、レシートはPhotoshopで加工されないのかとか。そもそもトラブルはないのかとか。この辺は気にするレイヤーが違うので、ここでは問いません(ちなみにATMレシートの写真を受信したのち、ネットバンキングで口座の入金を確認するのですが、タイの銀行では振込人が記載されないため、入金のタイミングとその金額でチェックするのです。いずれにしても阿吽の呼吸ですね)。

また、これで果たしてビジネスになるのか? といえば、けっこうなるのですね。というかこれが基本でしょう。サービスを売っているのか? 情報を売っているのか? もしくは口利きの上前をはねているのか? もはや何を売っているのかわからなくなっている、そんな実感の乏しい商売に比べれば、はるかに実直なビジネスでしょう。

タイの人々の意識として、目指す就業形態として、正社員へのこだわりは日本に比べれば圧倒的に低いです。これもバンコクなどの都市部と、それ以外の地域で相当差はありますが、国土の多くを占める地方の農村部や、その周辺の地方都市では、安定した正社員を就労形態の「あがり」とするひとつのワークスタイルへの信奉は薄いです。

強いて言えば全国的に、公務員や教員を目指す、銀行やロイヤルファミリー系の企業を目指すというのはあるでしょうが、とはいえ自分の働き方を、その雇用形態によって規定するという考えは意外と薄いと言えます。

チェンマイの屋台とマジックアワー

ルーズ、怠惰、ジョブホップ

北タイの最低賃金は現在325バーツ。これは日給です。日給は、南部、中部、北部など地域の経済や産業の状況に応じて、最低賃金は異なっています。

スマートワーク総研を読まれる方の中には、おそらくマネージメントをする側の方も多いと思いますし、スタッフの雇用条件というよりは、自身の組織のワークスタイル設計に関心を持たれていると思います。いま円バーツレートを計算して日本円換算しつつ、人件費の計算などいろいろイメージされたのではないでしょうか(今は1バーツ/3.8円くらいでしょうか)。

タイは日本に比べれば生活コストは圧倒的に安いです。チェンマイのような地方都市ならば(外国人であっても)月に5〜6万円あれば慎ましく暮らせます。月に10〜12万円もあれば、そこそこ豊かな生活が送れるでしょう。

ここでポイントとなるのは、最低賃金の規定が「日給」であること。求人時の給与の提示は時給でも月給でもなく、あくまで日給が基本です。タイの労働省、中央賃金委員会が定める単位も日給が基本です。たかが給与の表記ですが、ここにタイのワークスタイルの自由さの根本があるかもしれません。

日系企業の多くの管理者、マネージャーが現地雇用のタイ人たちに抱くステレオタイプな印象は、ルーズ、怠惰、適当、ジョブホップ、という方も多いかもしれません。でも私たちの感覚からしたら、それらは全く当てはまりません。タイの人々ほど勤勉で実直で根気強く、そして誠実な人々はいないと思います。

そもそも単に雇用者として人を管理しようとすれば、たいていそれは反発を受けるものです。特に私たち日本人は、欧米人を雇用するのとアジア人を雇用するのでは、意識するしないに関わらず、残念ながらまったく同じ感覚では接していないことも少なくないと思います。単価の安い労働力としてのみ認識したのでは、タイの人々の優れたポテンシャルは発揮してもらえないのも当たり前です。

柔軟で自由度の高い働き方のスタイルを考えるならば、就労者自身とそれを雇用する組織、会社(社会)の双方が噛み合わなければ実現は難しいでしょう。そういう意味ではタイは相当な先進国かもしれません。

それを感じてもらうには、給与体系とその時間感覚を例に挙げるのがいいでしょう。

チェンマイのショッピングモール

今日は何を食べよう

「働くことは食べること」とよく言います。ヒトの感覚として、今日は何を食べようかと一日の食事をイメージすることはできても、一ヶ月の献立はなかなかリアルに想像できない。日給単位で自身の収入をイメージするのと、月給もしくは年収で認識するのでは、自ずと仕事や生活の感覚も変わるものです。

それは「勤め人」か「自立した個人(自営者)」か、と言い換えても良いかもしれません。これが時給単位では刹那的すぎて継続性に結びつかないし、アルバイト等の臨時職の意識に留まるでしょう。

月給、年収、生涯賃金で仕事を評価、認識するモデルは、20世紀にはごく標準的な就労イメージでしたが、これはすでに、どうやら有効ではないらしい。こうした認識はかなり共有されています。

安定した職に就く堅実な人生か、その日暮らしの浮草人生かといえば、これまでは圧倒的に前者が善しとされてきましたが、しかし、これを担保する雇用体制や生涯補償を、企業も社会ももはや提供できないとなれば、新たなワークスタイルを模索したくもなるでしょう。

給与の考え方が日割り(日給)というのはあくまで象徴で、実務的な会計処理や雇用条件の問題とは違います。気分として、加速するスピード感が今にマッチするというよりも、自身と会社や組織との距離感を象徴しているという印象です。

私たちの会社では、スタッフは皆「正社員」として雇用していますが、これはあくまで私たち日系企業の感覚によるもの(社会保障を厚くしたかったから)で、今でこそ感謝されていますが、特にスタッフたちが強く望んだことではありません。

彼女らの中には週末は市場で働く人もいるし、家の畑仕事に精を出す人もいるし、ネットで小商売をする人もいます。

メイン(?)の会社の仕事には「私たち(自分たち)の会社」として様々なアイデアを出してくれるし、製造が間に合わない時は、自宅に持ち帰って作業を続ける(Overtime=時間外勤務として賃金を支給します)。刺繍や籠編みなど高い技術を要する手工芸作業は、皆で自主的にLINEグループを作って情報交換しながら仕上げています。

水牛が水浴びし、田んぼのカフェでタブレット端末を操作する先進国

私たちはタイに進出する大企業ではありません。トヨタでも味の素でもイオンでもなく、日野自動車でもパナソニックでもない。地方都市チェンマイのごく小さな中小企業です。そこでなぜ、多くの日系企業の方々が、その労務管理の難しさを嘆くタイの人々と協業していけるのか? 逆に私たちが彼女らに助けられ、異国の地で事業を続けさせて貰えるのか? 理由はいくつかありますが、意外とシンプルです。

まず私たちの会社の所在地が、大都市ではなく周縁の地方都市であったこと。大企業ではなくごく小さな中小企業であったこと。タイ人と日本人、若手と中高年といった多様性があったこと。小さな会社ゆえに組織に依存せず、自立した個人がすでに確立していたこと。そして、ネットやスマートフォンといったデジタル環境が、ごく身近に整備されたことです。

一生安泰な大きな企業に属さなくとも、本業も副業も、会社勤めも農業も、パートタイムも正社員も。どれも受容する柔軟な働き方が社会に根付いています。

どこでどんな仕事をしようとも、そして仮にそれが行き詰まり、食い詰めても、田舎(実家)へ帰れば最低限の食べ物はある。屋根のある場所で寝られる。そして地域のリアルなネットワーク(家族、親族、友人、お寺)が生きているのです。

私たちの会社のスタッフたちが、かつての日本のニュース「日比谷公園の年越し派遣村」を見て、「この人たちには田舎(実家)はないのですか?」と不思議そうに聞いたのは、この国の豊かなワークスタイルと、優れた先進性の表れかもしれません。

そしてこうした社会(国)の隅々に、ネットとデジタル機器がカジュアルに降りてきて、屋台でスマートフォンを操作して人々は副業をし、水牛が川で水浴びをする横で、田んぼの脇のカフェでタブレットを操作する(日本と異なりMacBook等のノートPCはあまり使われません)。そんな様子を目の当たりにして思うのは、先進国とはおそらくこういう国のことを言うのだろうということです。

eavamのアトリエ風景

eavamのアトリエ風景

著者プロフィール

大橋 二郎(おおはし じろう)

eavam代表。80年代、東京グランギニョル(飴屋法水氏主宰)にて演劇活動。演出助手、脚本、出演など。90年代、コンピュータ系出版社にて雑誌・書籍の編集。00年代、自身が主宰・編集するデザイン・アート系フリーマガジン『SAL magazine』発行。10年代、タイ・チェンマイに移住。2017年、花岡安佐枝(共同代表)と共にスキンケア/日用品ブランド「eavam」を設立。