「まあなんとかなるよ」という寛容さがポイント

この国に来てからの感想を一言で表すならば「台本のないライブ感」でしょうか。「今を生きている」感覚が味わえます。日本では、先を読んで予定を立て万全な手筈を整えられる=仕事ができる人ですが、マレーシアでは違います。なぜならその予定が全て覆る可能性が高いからです。突然祝日が決まるなどのことが国レベルでも発生するので、こちらで求められる能力は、直前に提示された条件で即決できる判断力、予想外の事象への対応力、行動力。また、それらが通達されないことも多いので、自分から情報を取りに行く能動性も必須。そしてなりよりも「まあなんとかなるよ」という寛容さがポイントになります。

日本ではいくつかの仕事の一つとしてメンタルクリニックでカウンセリングをしていましたが、働き盛りの若い世代がとても疲弊しており、とくに「〜せねばならない」「こうふるまわなければならない」という同調圧力に苦しめられていることを強く感じていました。これは、ほとんどのことが予測できて大体その通りになる社会だからこその苦しみだったのだと、今この地に来て痛感しています。

……などと、ちょっと分かったふうに書いていますが、私は2022年4月に渡航したばかりなのでマレーシア暦は1年未満。記事を書くのもおこがましいかとは思ったのですが、日が浅い分、驚きも新鮮なのでそのような視点でお伝えできればと思い筆を取りました。現在はマレーシアの首都クアラルンプールにある外資系BPO(ビジネス・プロセス・アウトソーシングといい、外国人がマレーシアで働く足がかりとしてメジャーな業種)でテック系サポート業務に従事する正社員としてフルタイムで働いています。また、ワークライフバランスを重視するこの国ならではの残業の少ない働き方を生かし、終業後には、日本のアプリ向けの漫画制作も行っています。

さて、そんな国でのお仕事事情を考察する前に、まずは基本情報を見ていきましょう。

コスモポリタンなイスラム国家

マレーシアを特徴づけるものの一つが、イスラム国家であることでしょう。毎日、朝、昼、夜とモスクのスピーカーから大音量でお祈りが流れてきますし、多くの女性はヒジャブをかぶり、手足を覆う服を着ています。しかし一方で、ノースリーブにおヘソを出した短パン姿の女性が颯爽と街を闊歩する姿も見かけます。イスラム国家というと他宗教の人も規律に合わせて肌を隠すような印象が強いのですが、マレーシアは少し異なり、それぞれの宗教が尊重され絶妙に共存する、真の多様性を感じます。同じ東南アジアではインドネシアのイスラム教が87.2%であるのに対し、マレーシアはイスラム教61.3%、仏教19.8%、キリスト教9.2%、ヒンドゥー教6.3%、その他、というバランスで成り立っていることも大きな要因でしょう。※

このあたりは、歴史も深く関係している気がします。マレーシアのルーツであり、シルクロードの要として繁栄したマラッカ王国の貿易港では、当時180ヶ国以上の言語が話されていたと記されています。渡航直後、歴史を知りたいとマラッカに足を運びましたが、モスク、ヒンドゥー寺院、仏教寺院が近接し一列に並ぶ有名なストリートを歩いた際には、こんな場所は他にはないと感激しました。

現在の首都クアラルンプールも、この歴史をしっかりと受け継ぎ、さまざまな言語が聞こえてくる非常に活気のある街です。人種や言語という多様性だけでなく、伝統あるチャイナタウンやリトルインディア、コロニアル形式を残す旧市街と、近代化を象徴する高層ビルが林立する、新旧という意味での多様性も大変魅力的です。

※外務省HP
マレーシア:https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/malaysia/data.html
インドネシア:https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/indonesia/kankei.html

ハーモニーストリート。手前が仏教寺院、奥にはモスクの塔が伺える。そのさらに奥にはヒンドゥー寺院が

ハーモニーストリート。手前が仏教寺院、奥にはモスクの塔が伺える。そのさらに奥にはヒンドゥー寺院が

経済的にはポテンシャルの塊

マレーシアのクアラルンプールと聞いて真っ先に思い浮かべるのが、光り輝くペトロナスツインタワーではないでしょうか。ペトロナスは正式名称をPetroliam Nasional Berhadといい、石油・ガス事業を行うマレーシアの国営企業です。同企業が象徴するように石油と天然ガスが出るうえ、その他パーム油、スズ、ゴム等様々な資源も有しています。主要産業は電化製品の製造業で、輸出はこちらがメイン。日本ではあまり知られていませんが、東南アジアで唯一自動車メーカーを有していることも特徴のひとつで、Proton(プロトン)とPerodua(プロドゥア)の2社があり街中でもよく見かけます。

資源国家で技術もあるうえに平均年齢は29.6歳(2021年時点※)なので、経済的にかなりのポテンシャルを持っていることが伺えます。

※The Department of Statistics(マレーシア統計局)
https://www.dosm.gov.my/v1/index.php?r=column/cthemeByCat&cat=155&bul_id=ZjJOSnpJR21sQWVUcUp6ODRudm5JZz09&menu_id=L0pheU43NWJwRWVSZklWdzQ4TlhUUT09

クアラルンプールといえばペトロナスツインタワー

クアラルンプールといえばペトロナスツインタワー

成長を象徴するような高層ビルと旧市街のコントラストが印象的

成長を象徴するような高層ビルと旧市街のコントラストが印象的

紙が不必要なIT国家

日本から移住して真っ先に感じたのが「紙を使わない」ことです。ほとんどのことはアプリかウェブサイト上で完結します。

私が渡航したのはCOVIDの渦中。日本ではワクチン接種の1・2回目と3回目の間に引越しをしたので、自治体との紐付システムになっている接種証明書を発行するためにそれぞれ問い合わせる必要があり面倒でした。しかも自治体によっては郵送のみだったため、申込書を送付する際には返信用封筒に切手を貼付し同封するなどのささやかな経費と手間がかかりました。一方マレーシアでは早い時期から全てのCOVID情報が1つのアプリに集約され、証明書はもちろん、PCR検査の結果も同アプリ上に通知・表示される仕組みが採用されていました。ショッピングモールや飲食店を利用する際にかざすQRコードももちろんこのアプリの中です。紙は一切必要ありません。

また、不動産契約では複数の契約書にサインをしますが、PDFが送られてきたらアプリ上で署名をして送り返せばOK。やはりここでも紙でのやりとりは発生しません。印鑑社会で生きてきた私以外の現地の方は皆自分のサインを持っているので、ローマ字で名前を書いているだけの私はちょっとカッコ悪い……そのうちサインを作ろうと心に誓った瞬間でした。

紙の話からはズレますが、他銀行間の取引でも国家プロジェクトで作られた共通QRコードサービスで完結できます。A銀行のアプリでもB銀行のアプリでも共通の個人QRコードが発行できるため、特定の通話アプリやQR決済アプリを入れずとも気軽に割り勘などができます。まさに「合理化・効率化のためにITを活用する」という当たり前のことを当たり前に実践している国だなと感じます。

日本と比較するとジェットコースターみたいなスピード感

紙がないことからも予測できるかもしれませんが、全てがとにかく早いのです。だいたいのことは1週間以内、それより先のことは来週また考えます。2〜3ヶ月先の予約が普通の日本からすると不安になりますが、慣れてしまえば、思い立って即行動できるのでかえってラクです。

インターネット契約では、ウェブサイトで申し込んだ翌日に工事でした。不動産も、エージェントに声をかけた時点で「来週中に契約できる?」というスタンス。日本の感覚でもう少しいくつか比較しようと保留していた同僚は、後から申し込んで即決した人に先に契約されてしまい、希望の部屋を借りることができませんでした。順番ではなく、今すぐお金を払い契約できる人が優先です。即決、即行動がこの国では鉄則です。

時間軸がどうやら違う

このような素晴らしいスピードで物事が進む一方で、個々人は時間にルーズというのも面白いところです。とにかく修理などの業者が時間通りに来ません。前日に意気揚々と「明日朝9時に行くね!」とメッセージがきたのに、翌日朝9時に「今日行くのは確実なんだけど」と連絡が入り、結局この日は11時半スタートとなりました。あるいは13時の予定にもかかわらず、朝10時に「今家の前に居るよ」と驚きの前倒し、という逆パターンもあります。業者との約束の日には余裕を持って終日休みを取り、前後いつ来てもよいように準備をしてお茶を飲みながら待つくらいの寛容性が求められます。

家はわりといろいろ不具合が出るので、業者さんにはお世話になることが多い

家はわりといろいろ不具合が出るので、業者さんにはお世話になることが多い

個人的にいいなと思っているのは、駅に時刻表がなく、電光掲示板も「あと5分以内に電車がきます」という表示であることです。何時何分に電車が来るはずなのに3分も遅れた!などということは誰も気にしません。

仕事においても同じで、10分程度の遅刻はあまり気にしていないような感じがあります(もちろん職場や仕事によります!)。細かい時間を気にしない根底には、物事がリアルタイムで決まっていくことと相関関係があるのではないでしょうか。ある同僚は、担当ポジションが変わるのを当日伝えられましたが、このように色々なことがとにかくいきなり決まるので、「OK!できるか分からないけど、まあやってみるよ」という姿勢が求められます。冒頭で述べたライブ感にいかに対応できるかということになってくるわけですが、この状況下で、かっちり決めていく日本の完璧主義スタイルだと疲弊してしまう、だから皆ルーズさをバッファとして持っているのではないか、私はそう仮説を立てています。

このような雰囲気があるため、お休みが取りやすいことは最大のメリットです。そもそも与えられた有給は取りきるのが当たり前なので、最初は恐る恐る「この日休んでもいいでしょうか?もし無理なら翌週でもいいのですが……」と申請していたお休みも、今では「ここ休みますね!」と申請するようになりました。

マレーシアでの仕事とは

私はまだクアラルンプール生活の日が浅いので、マレーシア人の同僚数人に仕事観などについて聞いてみたのですが、概ね日本と変わらないようです。大学の入学時期が年に数回あるため卒業時期もバラバラで留学も多いことから、日本のような新卒一括採用は存在しませんが、安定した仕事のためにはやはり大きい会社での正社員は人気。手に職という考えから士業もかなり人気だそうです。インターネットの情報では「転職は当たり前」というような記事をよく見かけますが意外にそうでもなく、ジョブホッパーは敬遠されるとのこと。それでも日本と比べるとかなり流動性があるという違いはありつつも、仕事をめぐる大枠の意識は違いがないように感じました。ただ、同僚曰く一番の違いは起業する人が多いことで、一度レールから外れたら戻れない日本のような雰囲気はないそうです。日本でもCOVIDを境に変化がありそうなので、ますます違いはなくなっていくのかもしれません。

そう考えると、大枠で大きな違いはなく、上述したような生活感などに適応することができるのであれば、とても働きやすい国なのではないかと強く思います。ご多分にもれず、この国の絶妙なゆるさとある種の厳しさが私にはとても合っていたので、しばらくはこちらの空気に浸れるよう生活も仕事もがんばっていこうかなと思っています。

著者プロフィール

櫻井 彩子(さくらい あやこ)

大学在学時から経済系フリーアナウンサーとしてラジオやTVに出演、併せて2011年からは大学のキャリアセンターやメンタルクリニックでのカウンセリングにも従事。海外で暮らしたいというぼんやりとした夢を実現すべく、2022年春にマレーシアに移住。現地採用の会社員として働きながら漫画アプリ向けの漫画制作も行う。