さまざまな思考方法の集積が10X思考となる

著者の名和高司氏はハーバード・ビジネス・スクールをトップクラスの成績で卒業し、マッキンゼー・アンド・カンパニーとボストン・コンサルティング・グループという、世界で1位、2位のコンサルティングファームに勤務。一橋大学教授、NECキャピタルソリューション取締役、ファーストリテイリング取締役、デンソー取締役、味の素取締役などを経て、現在は京都先端科学大学教授という、実務とアカデミアの両方で活躍してきた実績を持っている。

その膨大な知識と経験を元に、先達の言葉や著書、論文を引用しながら、600ページ余りという、ビジネス書にしては分厚い紙面を費やして縦横無尽に「10X思考」を語っている。どうやって売上を10倍にするのか。単純な答えは書かれていない。読めば分かる的なハウツー本ではないことをまずお断りしておく。

ロジカル・シンキング、デザイン・シンキングからシステム・シンキングへ

まず、「20世紀の主流派であるロジカル・シンキングとデザイン・シンキングの特徴と限界を見たうえで、21世紀を開くシステム・シンキングの可能性について」考察している。

ロジカル・シンキング(論理思考)はコンサルタント出身者を中心に広く使われ、日本のビジネス界では当たり前の思考方法となっている。著者によれば「すべての基本は、MECE思考である。MECEとは「Mutually Exclusive, Collectively Exhaustive」の略だ。漏れなく、ダブりなく事象を細分化することを意味する。ロジカル・シンキングを使うことで正しい答えに素早くたどり着くことができ、他人を説得することが容易で、再現性が高い。

だが著者は「ロジカル・シンキングには大きな落とし穴がある」という。ロジカル・シンキングではヒトは合理的に判断して行動するという前提に立っているが、現実にはヒトは合理的に判断するだけではない。そこに矛盾が生じてしまう。

これを乗り越えるのが「ゆらぎ・つなぎ・ずらし」だ。要素還元することで見落としているもの、重なっているものに気づくのが「ゆらぎ」、前提を変える「ずらし」、当たり前に考えていることに対して発想の転換がうまれる「つなぎ」だ。

第2章は「デザイン・シンキングの罠」というタイトルだが、46ページで「デザイン・シンキングとロジカル・シンキングの基本的なパラダイムの違いは、機能価値から感性価値への移行である」と、デザイン・シンキングという言葉がいきなり飛び出してくるのに戸惑わされる。

デザイン・シンキング(デザイン思考)とは、Wikipediaによれば「デザイナーがデザインを行う過程で用いる特有の認知的活動を指す言葉」であるという。

46ページでは先のフレーズに続いて「製品そのものの機能ではなく、それを利用する場や空間、そしてそれを使って何をするかという体験価値に焦点を当てる。それが、デザイン・シンキングの本質である。そしてこれは、マーケティングの本質でもある」と述べられている。「感性マーケティング」という言葉があるが、それを問題解決や経営指針として援用しようという手法だ。

そしてシステム・シンキング。「部分にとらわれず、エコシステム(生態系)や社会システムなど世の中をシステムとして捉える思考法である。そして、情報の関係性や因果ループなどを手掛かりとして、全体の系を考えながら問題解決を図ろうとするものである」という。

ロジカル・シンキングが全体を要素に分解する思考プロセスであるのに対し、システム・シンキングは要素を統合して全体の関係性を俯瞰する、正反対のプロセスなのだ。

また「ロジカル・シンキングは点と点を線で結ぶ2次元的な思考法である。それに対して、デザイン・シンキングは3次元的な広がりを持つ。そして、システム・シンキングは、それに時間軸を加えることで4次元的な思考の奥行きを持つのである」と3つの思考法を分類している。

無形資産を活用することで実践できる10X思考

著者は無形資産を活用することが10X思考にとって大切だと説く。

バランスシートに計上される土地・建物・在庫などの物的資産と預金・売掛金・負債などの金融資産が有形資産である。それでは無形資産とは何かというとブランド、ネットワーク(関係性)、知恵、人脈などを指す。あるいは企業文化や価値観など組織資産、顧客・流通チャネルなど顧客資産、従業員・サプライヤーなど人的資産が該当する。

「自社の資産のみならず、社外の資産をいかに活用するかを考える。このように梃子の原理を使うことで、自らの資産の規模の何倍もの価値を生むことができるようになる。これこそが、10X思考の基本である」という。

シリコンバレーのスタートアップ企業はその会社「ならでは」のノウハウなどコア・コンピタンスを大切にしつつ、他の領域では自前主義にこだわらず、同業者や異業種と組んで資産を多重化することにより、10Xの成長を実現している。

10X思考はいかに実践されているか

10X思考生誕の地であるグーグルでは「ムーン・ショット」、つまり月ロケットが合言葉になっている。同社は「80:20」という働き方を推奨してきた。本来業務に80%、研究やアイデア出しなどそれ以外の仕事に20%を使って良いということ。週に1日は自由に時間を使うことができる。

だが、80:20ルールは思いつきや片手間の作業を許しただけで、未来のグーグルを育てる種にはならなかった。そこで80:20ルールからムーン・ショットへと軌道修正した。自由に使うことができる20%の時間を小さな改良に費やすのではなく、月ロケット計画のような前人未到の大きい夢を追え、というのだ。

当然一人でこなせるレベルではなく、仲間の協力が不可欠となる。仲間を呼び込むためには志(パーパス)が必要だ。儲かるだけでは共感されず、人を救う、地球を救うといった壮大なテーマが求められる。著者はこれこそが10X思考の実践だという。

10X思考を実践しているとして取り上げられている日本企業の一つがリクルートだ。同社は日本企業にとって不得意とされる拡大への道筋、スケールアップをアルゴリズム化している。リクルートではクライアントである企業群とカスタマーとの「出会い」を育む事業モデルが中心となっている。結婚式場などブライダル産業と、結婚を控えた婚約中カップルを結び付ける「ゼクシィ」など、他に例を見ない事業を成功させている。

その過程で3つのステージを踏むことになる。ステージ1は0から1へ。「世の中の不をアイデアへ」ということで、新規事業の起点となる「不」を探し出す。ただし、ほとんどのアイデアはゴミでしかない。

これから収益化できる事業機会だけを絞り込み、ステージ2に上げる。ステージ2は勝ち組を見つける段階であり、1から10へとスケールアップする。「誰の財布を狙うのか」「その財布はこちらに向くのか」「どれだけ多くの金を、どれだけ継続的に引き出せるのか」が徹底的に論じられる。

そして10から100となるステージ3では「爆発的な拡大再生産」が目指される。こうして利益1000億円規模の事業が次々と生み出された。まさに10X思考である。

個人でも10X思考を目指して

10X思考は企業だけに必要なものではない。会社員であれフリーランスであれ、一人ひとりが10X思考で武装した10X人財を目指すための処方箋として5つの要件が述べられている。

1. 志を掲げる
2. ライフパスを描く
3. 無形資産を増殖させる
4. 思考のアルゴリズムを磨き続ける
5. 旅を楽しむ

ここでも「志を掲げる」「無形資産を増殖させる」、「思考のアルゴリズムを磨き続ける」が提唱されている。

人生をかけて何を達成したいのか、どのような未来を実現したいのかが個人にとっての志だ。その人「ならでは」の無形資産を蓄え、磨き続け、さらに他者の「ならでは」の資産と「異結合」させることで10X化する。自分の中で持っている考えを相手に伝えるために言語化し、法則化する。それがアルゴリズムであり、その人の価値となる。

家族や友人、同僚など心地よい関係だけに安住していては「異結合」が起こりにくい。あえて異質な人たちとの出会いを求め、ノマド的な生き方にも身を任せることが重要であり、「旅を楽しむ」に繋がる。「常に新しいもの(ゆらぎ)」を取り込み、それを「ずらし(脱構築)」と「つなぎ(編集)」の技で既存の知恵と異結合することが求められる。これが10X思考を習得する鍵なのだ。

機械学習と深層学習に関する誤解

本書では、「機械学習」と「深層学習」について、次のように述べられている。

「機械学習とは、その名の通り機械論的パラダイムそのもので、合理的な因果関係を追及していく学習プロセスである」

「深層学習は脳の中のニューラルネットワーク構造を模して、重層的なデータから自らパターンを学習していく。機械学習のように、「AであればB」と単純にロジックを結ばない」

「AIは、機械学習をさらに進化させ、深層学習(ディープ・ラーニング)をこなせるようになっている。教師データの入力すら不要になり、AI自信が自己学習を通じて、大量のデータの中から瞬時に情報を処理することができる」

だが、これらは著者のAI、「機械学習」と「深層学習」に対する誤解ではないだろうか。

機械学習は、AIシステムに膨大な量のデータを与え、それを自動的に分析・学習する手法だ。現在ではインターネット上で膨大な量のテキストや画像が容易に入手できるようになり、機械学習が現実のものとなった。機械論的パラダイムとは何の関係もない。
ディープラーニングは、AIシステムがデータを分析するための手法の一つだ。入力データから出力データを得る過程を100段、200段と階層を深くしたものがディープラーニングだ。現在の画像・テキスト・音声などの認識ではディープラーニングが主流となっている。

現在の画像認識や音声認識、生成AIは膨大なデータを機械学習で学び、ディープラーニングで認識している。2つは対立する概念ではない。

本書は600ページ余りというボリュームがあり、様々な用語・概念が披露されているが、参考文献リストも索引もないのが残念だ。新しい用語が出てきても、それがどこで詳しく解説されているのか探すことができない。読者がパソコン、スマホを片手に用語を検索して調べる努力が必要かもしれない。読みこなすには相応の覚悟と胆力が求められる。

まだまだあります! 今月おすすめのビジネスブック

次のビジネスモデル、スマートな働き方、まだ見ぬ最新技術、etc... 今月ぜひとも押さえておきたい「おすすめビジネスブック」をスマートワーク総研がピックアップ!

『図解入門ビジネス 最新ロジカル・シンキングがよくわかる本』(今井信行 著/秀和システム)

ビジネスに役立つ論理的思考法「ロジカル・シンキング」が図解でよくわかる入門書です。論理思考力と発想の瞬発力を強化し、充実した発想をもとに関係者の理解や納得が得られる表現力やコミュニケーション力が必要な時代となっています。本書では「コミュニケーション」に重点を置き、「思考しながら体得する」をキーワードに解説しました。また、ロジカル・シンキングを実際に使いながら体得できるよう、わかりやすい言葉と図版でイメージしやい解説を心がけました。(Amazon内容紹介より)

『ビジネスパーソンのためのクリティカルシンキング入門 VUCAの時代の思考のヒント』(吉岡順次 著/ビジネス教育出版社)

情報に惑わされず、思い込みや習慣から逃れる思考法「クリティカルシンキング」。その概要や方法、発揮するためのステップをはじめ、自己を疑う技術、問題と課題を解決する思考、因果関係を明らかにする手順などを解説する。論理的思考力を鍛えるための一つのツールとして、近年注目を集めているのが本書のテーマであるクリティカルシンキングです。(商品解説より)

『6スキル トップコンサルタントの新時代の思考法』(佐渡誠、鈴木拓 著/日経BP)

これからの時代を切り拓く「6つのプロフェッショナルスキル」とは? 多くのプロフェッショナルを育てきた著者が「これからの育成のバイブル」を語る。KPMGコンサルティングのパートナー兼人材開発責任者が、これからの時代に求められる6つのスキルについて解説します。「コンサルタントの普遍的スキル」だけでなく、「アップデートすべきスキル」「新時代のスキル」についても提示されており、新たに学ぶべき論点を提案しています。(Amazon内容紹介より)

『マッキンゼー CEOエクセレンス: 一流経営者の要件』(キャロリン・デュワー、スコット・ケラー、ヴィクラム・マルホトラ 著/早川書房)

世界の輝かしいビジネスリーダーたちに共通する「マインドセット」と「6つの行動習慣」とは? 21世紀のCEOに不可欠な「卓越性=エクセレンス」の正体が明らかに! 21世紀のトップリーダーに不可欠な「CEOエクセレンス」のすべてが詰まった究極のビジネス書。本書は上場、非上場、非営利にかかわらず、どんな組織のリーダーにとっても有用な指南書になりうると考えている。さらに、本書で紹介している成功につながるマインドセットと行動習慣の多くは、自身のベストを目指したい若き将来のリーダーたちの成功を下支えすることは間違いない。(Amazon内容紹介より)

『組織の感情を変える リーダーとチームを伸ばす新EQマネジメント』(大芝義信 著/日本実業出版社)

あらゆる組織には感情がある。2020年の世界経済フォーラムで「2025年に向けて必要なスキルTOP15」にランキング入りするなど再注目されているEQは、個々のメンバーが養うべきものであるだけなく、まず経営者、リーダー自身が身に付けるもの。組織内部の心理的安全性、人間関係が安定は、リーダーのEQにかかっている。EQ導入で実績のあるコンサルタントが、多角的にレクチャーする。EQで組織は変わる!(Amazon内容紹介より)

著者プロフィール

土屋 勝(つちや まさる)

1957年生まれ。大学院卒業後、友人らと編集・企画会社を設立。1986年に独立し、現在はシステム開発を手掛ける株式会社エルデ代表取締役。神奈川大学非常勤講師。主な著書に『プログラミング言語温故知新』(株式会社カットシステム)など。