大野美和さん

1976年、高知県生まれ。株式会社小学館 辞書編集室編集長。パソコン関連誌の出版社を経て2002年小学館入社。テレビ情報誌や少女漫画を経て、2009年より辞書編集部に在籍。担当した主な辞書は『ドラえもん はじめての国語辞典』『小学館 はじめての国語辞典』『小学館 はじめての漢字辞典』『例解学習国語辞典第九版』『新選国語辞典第十版』『新選漢和辞典第八版新装版』など。
https://www.shogakukan.co.jp/

子どもたちに辞書に親しんでほしい

──「きみの名前」が入れられるという『きみの名前がひける国語辞典』が発売されました。どのような辞書なのか、どのようなきっかけで作られたものなのかご説明いただけますか。

大野 『きみの名前がひける国語辞典』(以下、『きみ辞書』)は、プレゼント相手の「きみの名前」を辞書の1項目として入れられる、世界で1冊だけの国語辞典です。園児~小学校低学年対象の『小学館 はじめての国語辞典』をベースに、ご希望の名前と40字の紹介文を入れ、カバーの色も10色から選んでいただけます。2023年3月9日から31日までの期間限定で、小学館百貨店という小学館の直販サイトだけで100冊限定の予約販売をいたしました。

『きみの名前がひける国語辞典』(左)と「太郎」の名前を入れた例(右)。紹介文の40文字は3行になる。

『きみの名前がひける国語辞典』(左)と「太郎」の名前を入れた例(右)。紹介文の40文字は3行になる。

『きみの名前がひける国語辞典』は、カバーの色を10色から選択できる。

『きみの名前がひける国語辞典』は、カバーの色を10色から選択できる。

大野 世界初の試みで、どれだけ受け入れてもらえるのか不安もありましたが、注文いただいてからの印刷なので、在庫を持たなくていいし、少しでも売れたらいいなと軽い気持ちで出品しました。ところが、たった1日で100冊を完売しました。ご希望の方が多かったので印刷所と相談して「300冊までなら対応できる」ということで、31日まで200冊の追加販売をし、合計300冊の注文をいただきました。最初の100冊のお届けが6月からになり、残りは8〜10月ころのお届けになります。

実はこの企画は、10年以上前から温めてきたものなんです。もともと2009年に私が辞書編集部に異動してきて、最初に小学生向けの『例解学習国語辞典』を担当したのですが、素読みをしていて、歴史上の人物の名前などが項目にあり、自分の名前が載っていたらおもしろいのにと思ったのが最初です。

小学館の『例解学習国語辞典』や『はじめての国語辞典』には、アンケートはがきが付いているのですが、「最初に調べたのはどんな言葉ですか」という質問に「愛」とか「林」とかいうのがたくさんあって、なぜだろうと。それで、それが自分の名前や名字だということに気づいたんです。大人は辞書で知らない言葉を調べますが、子どもは身近な言葉、中でも自分の名前に興味があるということがわかりました。なので、「きみの名前」を載せる辞書はいつかやりたいとずっと思っていました。

2013年に私が担当して刊行した『ドラえもん はじめての国語辞典』を刊行した後に、印刷を担当した大日本印刷の方と食事をしたときに、「辞書に読者が希望する名前を項目として入れることはできますか」と聞いたら、「できますよ」と。オンデマンド印刷(本の在庫を持たず注文が来てから印刷する方法)で、1冊だけ印刷することができると。

そこで、2014年に発売1周年記念のプレゼントキャンペーンで、印刷所さんと協力して、この『ドラえもん はじめての国語辞典』に購入者の名前を載せた辞書を限定100冊、作ってみたのが最初です。このときは紹介文を20字以内で作ったのですが、今のままの仕組みだと、調整が大変だということがわかりました。

株式会社小学館 辞書編集室編集長の大野美和さん。「辞書は印刷所の協力があって発行できている」と強調する。

株式会社小学館 辞書編集室編集長の大野美和さん。「辞書は印刷所の協力があって発行できている」と強調する。

大野 このキャンペーンだけで終わらせるのはもったいないと思い、人事部に相談をして、社員のお子さんが小学校に入学した際のプレゼントとして、『きみ辞書』を贈ることにしました。社員のお子さん用『きみ辞書』はこれまでに約300冊くらい作りました。そのほかに学年誌『小学一年生』用のキャンペーンでも200冊作ったので、最初のキャンペーンと合わせると約10年間で600冊くらい作ったことになります。

これらの非売品を作る中で、さまざまなノウハウが蓄積されました。説明の文字数は20字だと物足りない、40字くらいないと書けないとか、どういうことに注意して書いてもらうといいかとか、追加する項目は複数にすると印刷でトラブルが起こるので1つだけにしたほうが安全とか、さまざまなことがわかってきました。そうした中で、『小学館 はじめての国語辞典』を2021年2月に刊行し、これをベースに今回、『きみ辞書』を販売することになりました。

2013年に刊行した『ドラえもん はじめての国語辞典』。中央が第一版、左は現在販売中の第二版。右が社員のお子さん用に作成した「きみの名前」が入ったもの。

2013年に刊行した『ドラえもん はじめての国語辞典』。中央が第一版、左は現在販売中の第二版。右が社員のお子さん用に作成した「きみの名前」が入ったもの。

──『きみ辞書』の発売が決まって、難しかったことはどんなことですか。

大野 まず、価格ですね。通常版の『小学館 はじめての国語辞典』が本体1900円、プラス消費税で、約2000円なので、いくらくらいまでなら納得いただけるのか。印刷所さんのコストはだいぶかかりますし、原稿を整理したり、校正したり、ページの調整などにも手間がかかります。思い切って1万5000円に決めました。それなら、弊社の利益はあまりなくとも印刷所さんにはちゃんと払えますから。

それから、販売部や宣伝部に相談に行ったのですが、これは書店さんを通した通常のルートでは売れない商品なので、私が販路から探さなければいけないことになりました。書店さんを通せないのは、実際の名前にはパソコンで表示できない文字などがあるため、文字をパソコンで使えるものに限定したり、場合によってはご本人とやり取りしたりする必要があるためです。

そこで、小学館の関連商品を販売する通販サイト小学館百貨店の担当者と相談したところ、販売していただけることになり、オーダーフォームを専用で作ってくれ、「名前の表記」「名前の読み」「誕生日」「40字以内の紹介文」を入力してもらうことにしました。

お客様にフォームに原稿を記入してもらったら、それを編集者がチェックし、漢字にはすべてルビ(ふりがな)を振って、校正者のチェックを経て、ページに入れ込みます。『はじめての国語辞典』には、イラストがたくさん掲載されているのですが、項目とイラストが泣き別れ(本文とイラストが離れてしまうこと)にならないように注意しながら調整する必要があります。

最初のころは、該当するページだけのデータを差し替えていたのですが、それだと落丁(ページがなくなったり、ずれたりする)が起きてしまったことがあったので、全ページ揃いのデータを作って、1冊ずつ全ページを印刷しています。今回、300冊印刷するので、データも300個作ります。

言葉と出会う楽しさを感じてほしい

──子ども用の国語辞書を作る難しさやおもしろさはどんなことですか。

大野 難しいのは、やはり1冊の辞書で約19,000語という制限があることですね。大人用辞書は語数を多く入れられますが、子どもはあまりページ数が多いと嫌になってしまいます。また、語彙が少ないので、やさしい言葉で説明しなければいけない。そうすると説明が長くなってしまいます。ですから、子どもたちが知りたいであろう言葉に絞る必要があります。そういう言葉について社内には長年蓄積したデータがあり、それを元に言葉を決めていきます。教科書に出てくる言葉は検討するのですが、それだけだとおもしろくありません。こどもたちが興味を持つような言葉、テレビなどで見かける言葉などを入れることで、辞書を調べるおもしろさを知ってほしい。大人もそうなんですけれども、調べる気持ちよさを知ると辞書だけではなく、さまざまなことを調べたり、興味を持ったりするようになります。知識と出会う楽しさ、新しい情報を知る気持ちよさを知ってほしいと思っています。

自分の子もそうだったのですが、辞書を買っても、本棚に並べておくだけではもったいない。こんなにおもしろいことが載っているよ!と、もっと辞書に興味を持ってほしい、そういう気持ちから、イラストやコラムもたくさん入れた『ドラえもん はじめての国語辞典』を企画ましたし、『きみ辞書』もそういう延長線上にある企画です。

『例解学習国語辞典』(左)と、『小学館 はじめての国語辞典』(右)。中央が『小学館 はじめての国語辞典』に「きみの名前」を入れた『きみの名前がひける国語辞典』。

『例解学習国語辞典』(左)と、『小学館 はじめての国語辞典』(右)。中央が『小学館 はじめての国語辞典』に「きみの名前」を入れた『きみの名前がひける国語辞典』。

──最後に、これからの抱負を教えてください。

大野 『きみ辞書』は、印刷所の大日本印刷さんにも編集部にもものすごい負荷がかかっているので、それをなんとか調整して、来年も提供できるようにしていきたいと思っています。それから、弱視の方用に大きな判型のものができないかという要望があって作ってみたら、お客さんにとても喜んでいただきました。そういうチャレンジもしていきたいし、あと、文字のフォントを簡単に変更できると印刷所の担当者さんが言っていたので、かわいい書体や元気な書体にも挑戦してみたいと思っています。やはり、子どもたちが辞書を調べて、新しい言葉に出会う楽しさ、おもしろさを知ってほしいし、そういう辞書を提供していきたいと思います。

「子どもたちが新しい言葉に出会う楽しさを知ってほしい」と語る大野さん。

「子どもたちが新しい言葉に出会う楽しさを知ってほしい」と語る大野さん。

著者プロフィール

豊岡 昭彦(とよおかあきひこ)

フリーランスのエディター&ライター。大学卒業後、文具メーカーで商品開発を担当。その後、出版社勤務を経て、フリーランスに。ITやデジタル関係の記事のほか、ビジネス系の雑誌などで企業取材、インタビュー取材などを行っている。