平均年齢33歳 人口の45%は30歳以下の国

私は以前から学んでみたかった日本語教師の短期集中プログラムに運良く参加できて、資格を取得し、2018年の夏にハノイに日本語教師として移住しました。それから毎日のように小さな事件が起こっていますが、そんな事も気にならなくなるほどベトナム生活に馴染み、今年の夏で移住5年目に突入しました。

最初は技能実習生などの送り出し機関の日本語教師。次はベトナムの大企業でビジネス日本語と日本式ビジネススタイルの研修講師。その後はベトナムのIT企業でのカスタマーサポートを経て、現在はベトナムローカルのゼネコンで営業マネージャーをしています。

旅行で来た事もないまま移住した私が受けた最初の衝撃は、会う人たちが驚くほど若い人しかいないという事でした。歴史の教科書で学んだように私が生まれた頃には、まだベトナム戦争まっただ中。その影響もあり、同世代のベトナム人と知り合う事が最近までなかなかありませんでした。

今でこそ、ベトナムは世界で経済成長的に注目される国になっていますが、日本の戦後の経済成長と比較しても凄まじいペースで現代化していっているのではないかと感じます。この国で暮らしている私はタイムマシーンにのって25年位前の日本に到着したみたいです。

財務省前

財務省前

携帯電話料金はネット使い放題で1ヶ月500円ほどしかかかりません。カフェやレストランの電源とWi-Fiは使い放題です。日本で起業していた私が、当時デジタルノマドの環境を手に入れる為に払った金額は計算したくないほどでした。社会主義国でもあるベトナムでは、国にプライバシーを管理される事は当たり前と捉えたうえで、国民は全てを携帯電話で完結出来る最強インフラの中で暮らしています。

2022年のベトナムの平均年齢は33歳、どれだけ皆が若いかというと4,000人クラスの大企業に勤務していた時、会長も社長も副社長も当時40代後半の私より年下。駐在員の中に年上の方が一名いるだけで、なんと自分が上から2番目の年長者でした。

結婚も早く、社会主義国の一面を持つため、産休や育休の制度も充実し、子育ては同居の親がしてくれるという家庭が多いです。そうなると出産も早く、朝から外食も普通というスタイルは、実は経済的にとても強いのではないかと思っています。私が生まれ育って、今は高齢化が悩みとなっている日本と比べると実に真逆の国です。

社会主義国なので街なかにプロパガンダの看板が立つ

社会主義国なので街なかにプロパガンダの看板が立つ

大学を出ても就職が大変な国

若者ばかりという事は、いろいろな意味で社会の仕組みを構築中の国でもあります。この国では日本の様に大学時に就職活動をし、卒業と同時に就職を決める若者はほんの一握りです。大学では企業が参加するジョブ・フェアはありますが、就職課がなく新卒就職に特化したエージェントもありません。先輩の紹介や知人の紹介で入社をするというのが、今もベトナムのスタンダードです。

企業側でも採用担当を置いて積極的に採用計画を立てて採用しているケースもまだ少ないと思います。私のベトナムでの最初の勤務先だった送り出し機関では、大卒の生徒たちがたくさん学んでいました。大学を普通に卒業しても就職先がないのだという事を目の辺りにした貴重な経験でした。

就職活動がないという事は、私たち日本人が社会に出る前に身に着けるビジネスの基本ルールや常識が身についていないという事です。日本以外の国でのマネジメントのトピックに挙がる『報・連・相』はもちろんの事、トイレの前のスリッパは揃える等の基本的な事も教育の中では身に付いていません。そうした素養のないまま次々に入社してくる新人や、経験者として入社してきたが実は新人だったというスーパーポジティブな若者たちと向き合い、日本式を押し付けず、いかに育てていくかも外国人マネジメントスタッフの手腕と才能と能力次第となります。

大聖堂とオペラ座

大聖堂とオペラ座

今、私は週末に日本語塾で富裕層家庭の小中学生に日本語を教えています。日本語は一部の学校で第2外国語となっているので、親も必死です。一部の企業では日本語が話せるだけで言語手当が付くので親が決めたレールとして大学は日本語学科を選んだ若者も多々存在します。元々、ベトナムで国連の世界で2校しかないインターナショナルスクールがあるのがハノイです。語学熱はまだまだ続いていくのだろうと感じます。

大学でロシア語やフランス語を学び、卒業後に日本へ留学し戻ったという事も珍しい事ではないので、将来、3ヶ国語や4ヶ国語を操り、最新ITも使いこなす若者が起業して新しいサービスを作っていく事になるのかもしれません。この国に移住するまでは、わかりませんでしたが、現在ではインターナショナルスクールも多く、世界中の人間が住んでいます。日本のように外国人が街を歩いているのが珍しいという事ではないのも若者にグローバルな視野を持たせるためには良い環境です。

ワークライフバランスが充実している生活

ベトナムは中華圏でもあり、とても家族や血の繋がりを大切にします。毎年、暦で年が変わるテトという旧正月がベトナム国民にとっての本当の正月であり、親族一同が集います。大晦日にあたる日から8日位、(年によって長さは変わる)街のほぼ全ての店のシャッターが閉まりゴーストタウンとなります。祝祭日に従業員に仕事をさせると経営者は通常の3倍の給料を支払う事が法律で定められているため、基本はスーパーも飲食店も休みです。

私たち外国人は、テト中は生活必需品を全て買い込んで家に引き籠るか、影響のない土地へ旅行するか、一時帰国するのが基本スタイルです。国の暦としては新暦は1月1日のみが国民の休日です。日本人の私たちや他の外国人は新暦も正月休みを取り、テトにも正月休みを取るため、毎年、2回の正月休みがあるイメージです。一方、祝祭日が多い日本に比べ、ベトナムは年間10日程度しかありません。そのため、大型連休となるテト前は街中が華やかなムードに包まれます。

テトの風景(左)、テトの飾り(中)、テト後のお年玉の木(右)

テトの風景(左)、テトの飾り(中)、テト後のお年玉の木(右)

企業での残業代も金額の高い支払い義務が経営者に発生するため、この国は「基本は残業はなし」でビジネスや雇用設計がされています。仕事が終われば、人生を楽しんだり、家族と過ごしたりの自分の時間です。私が勤務していた大企業では、会社の記念日のパーティーや忘年会や新年会さえも勤務中の昼休み等に開催される徹底ぶりでした。

会社の重要な部門責任者が女性である事も多く、基本は家事も平等なので、私はこの国に来て、ジェンダーバランスを考える事がほとんどなくなりました。日本時代の半分位の家賃で週3回の掃除、洗濯、ゴミ捨ても入るサービスアパートメント暮らしを送っており、全ての生活に関わる雑務から解放されました。日本時代に体を壊すほど働いて、自分の事とはいえ、頑張って家事もするといった生活には、恐らくもう戻れないのではないかと感じる時があります。

定時で仕事が終わるので、あとは自分の時間です。仕事中もフランスの植民地時代の名残で昼休憩にはオフィスの電気を消し、昼寝をします。会社に勤務している人であれば有給は100%取得します。給料が減ってもいいのなら有給を使いきってからも休暇を取って旅行に行っても上司は文句を言いません。

「ワークライフバランス」という言葉がありますが、わざわざバランスを取るという必要もなく、自然に取れるようになっているので、今はこの国の生活がとても気に入っています。また、今、日本で話題の副業についても「副業を禁止する事が会社法で禁止されている」ので、副業はやっていて当たり前です。ベトナム人はFacebookが大好きなので、Facebookのページを通していろんな物を副業で売ったりしています。実家や親戚が作った野菜等で副収入を得ている人もよく見かけます。

市場の風景

市場の風景

COVID -19でわかった『助け合う事が当たり前だ』という感覚の本当の強さ

突然、人類を襲ったパンデミックにベトナムは早い段階でロックダウンを決断しました。私が2020年3月に休暇のラオス旅行から戻った後にすぐ国境が閉鎖となり、長期休暇からそのまま幼稚園や学校が休みのままとなったのを聞き、ある意味でこの国のガバナンスの凄さに気付きました。

今、当時を振り返ると、現地医療の発達が先進国にはまだまだ追いついておらず、そのため早く防御を開始したのではないかと思ったりしています。濃厚接触者になってしまった場合の隔離措置も最初は厳しく、外国人も現地の野戦病院のような施設に連れ去られる事例があったり、あまり英語も通じないこの国でドキドキしながら暮らしつつも、反面、社会主義故に可能な、徹底した管理体制に実は守られていました。

一番、厳しかった時はバイタクもタクシーも止まり、国民は基本外出禁止でした。店は全て閉まり、場所によっては生活物資も配給制になりました。長い長いロックダウンで私はベトナム人と同じ様にデリバリーで全ての物資を注文し、調達する事を覚えていきました。

コロナ後に新しくできたストリートの天井

コロナ後に新しくできたストリートの天井

元々、この国の国民には「皆で分け合う」という気質があります。現地採用され現地企業で働く私はCOVID−19の期間をずっとベトナム人と同じ環境で乗り切りました。そこで改めて「助け合う事が当たり前だ」という感覚に触れる事が多かったように思います。私自身の気持ちもシンプルになり「この国にいれば何とかなる。何が起きてもご飯は食べられる」と思えるようになりました。

制度の問題で、一生住み続ける事は今はできない立場であるなど、いろんな問題もありますが、恐らく、日本にいた時に常に考え続けていたテーマや不安がベトナムに来てから、人生の辞書からたくさんなくなったのではないかと思います。そしていつもリラックスして生きていられると感じていて、瞬間を生きるタイプの私には、同じスタイルのこの国の生活が今のところは気に入っています。他の国に移ってみたい気もしますが、しばらくは長いロックダウンでパワーアップしたこの国の成長のド真ん中に、身を置いてみたいと思っています。

蓮池から臨む市街

蓮池から臨む市街

著者プロフィール

奥本 智寿美(おくもと・ちずみ)

大学卒業後にバンド活動を経て、第2新卒としてSP系イベント会社に入社。黎明期にカスタマーサービス業界に入り、以降、広告業界、大手企業人事部、ITベンチャー経営管理部、映像制作業界、社長秘書、経産省の地域復興業務、NPO設立など、さまざまな業界と分野を経験。2018年8月ベトナム移住、技能実習生送り出し機関での日本語教師と日越合弁のカスタマーサービス会社での日本語事業部の教育&品質責任者を経て、現在はローカルゼネコンのセールスマネージャー。